・第2章「新任前線総司令官」・
<地球連邦軍・宙軍第1艦隊基地「呉」>
歴史的な敗北を喫したあの日から数週間後。グエンの姿はこの呉の港に有った。
かつて、地球がまだ300以上もの国と地域に分かれていた頃。日本と呼ばれる国で、この呉と言う都市は、軍港として重要な拠点だったと言う。
今では瀬戸内海全てを軍港としているものの、呉にその本部機能が集結しているのは今でも変わらない。
丘の上から瀬戸内海をグエンは黙って眺めていた。
(・・・)
カモメが空を舞い、その空は果てしなく青空が広がる。一見のどかな風景だが、彼の前方には、彼が前回率いた艦隊が停泊していた。
現在、グエン艦隊の艦艇は連邦軍の中で唯一稼動可能な艦隊として、その重要度が一気に増したのだ。そして今は、補給と修理を兼ねて停泊していた。
(政府は結局、戦争継続で事を進めようとしている。戦う力が失われていると言うのに・・・)
「司令、こちらでしたか」
声をかけられ、グエンは振り向いた。そこには彼の副官の姿が有る。
「おう、どうした、ジョン大尉?」
「はい。連邦軍総司令本部より緊急電です。『グエン・ドム・リュー中佐は直ちに連邦軍総司令本部まで出頭せよ』以上です」
手元のメモを読み上げるジョン。
「直ちに出頭?通信じゃだめなのか?」
「その旨を尋ねましたが、やはり直接出頭せよとの事です」
「ふむ・・・」
ただ事ではないであろうと言う事は、想像に難くない。
「今、動かせる艦艇は有るか?」
「駆逐艦<フレッチャー>なら、前回損害を受けていないので修理も必要ありませんし、ニューヨークまでの往復程度なら耐えられるだけの補給も完了しております」
「よし、じゃあそれで行くとするか」
そう言って、グエンは歩き出した。
<アメリカ州・ニューヨーク、地球連邦軍総司令本部>
「は?前線総司令官・・・ですか?」
「そうだ」
出頭に応じて、総司令本部に行ったグエンを待っていたのは、「地球連邦軍宙軍前線総司令」の辞令であった。つまり、この時点で彼は宙軍の指揮権を得た事になる。
「ち、ちょっとお待ちください。総司令と言っても、艦隊は現在の所我が艦隊しかないわけで、しかも中佐クラスの編成は支援艦隊ではありませんか?それで前線総司令というのは・・・」
辞令を交付したメイシード元帥に、グエンが反論をする。しかし、メイシードは顔色を変えずに続けた。
「我が軍は前回、決定的な敗北を喫した。これは地球連邦軍創設以来の危機である。そこで、軍構造の変更をここで行う事になった」
「・・・軍構造の変更?」
「そうだ。現在、我が軍には主力艦隊を編成している余裕も無ければ、将官クラスの指揮官も数が少ない。彼らには補給処総監とかの重要なポストに付いてもらわねばならぬ。しかし、艦隊を編成しないわけにも行かぬ。そこで、主力艦隊制度を廃止し、支援艦隊と呼ばれている小型艦隊を主力艦隊に格上げする。これで、当面は反乱軍にあたってもらう事になる」
手元の資料を見ながらメイシードがそう言った。
「・・・つまり、主力艦隊の小型化、ですか」
「そうだ。これにより、現在少佐クラスの佐官諸君に、新たに艦隊司令として着任してもらう事になる。こちらで予定しているのはそこまでだ。それ以降、編成とかは貴官に一任する」
メイシードはそう言って、ため息を一つついた。
「・・・政府は今の所、戦争継続の方針を転換するつもりはないらしい。参謀本部も同じだ。残念ながら、ワシがしてやれるのはここまでだ」
「・・・」
その言葉を聞いて、グエンは思い出した。この軍の構造が、総司令本部、参謀本部、政府とで多極構造になっている事を。しかも、一番頂点に立っているはずの総司令本部が、すっかりとその力を失っている事を。
つまり、メイシードはグエンに第2の総司令本部たる事を望んでいるのだ。
「・・・解りました。微力ながら精一杯やらせていただきましょう」
グエンは力強く言うと、敬礼をした。
「頼む。ワシの方でも、何とか参謀本部の暴走を止めるよう努力してみる」
<日本自治区・呉市、地球連邦軍宙軍司令本部>
新たに呉を宙軍の司令本部として定めたグエンは、それからしばらくの間、忙しい毎日を送っていた。
艦艇の調達、新規艦隊の編成、司令官の任命、後方部隊の設立、その他諸々・・・。
「しかしまあ、何とかこれで形にはなったな」
取り敢えず、5個艦隊までが編成を終わり、司令官の任命も既に終了している。
司令官を選ぶにあたって、グエンは木星までの各惑星に散らばっていった同期生や友人、信頼のおける先輩後輩を一気に呼び戻した。
各部署から猛烈な反発があるものと予想していたが、予想に反して事はすんなりと進み、宙軍は以前の活気を徐々に取り戻しつつある。
「同盟軍の活動はどうなっている?」
グエンはジョンに尋ねた。
ちなみに、連邦軍宙軍内部では銀河自由同盟軍の事は「同盟軍」と呼び、反乱軍とは呼ばないのが通例となりつつあった。
「木星基地からの報告によれば、現在同盟軍でも我々と同様に小型艦隊による主力艦隊編成作業が進められているようです。但し、元々の人脈がこちらに比べたら薄いので、編成に手間取っているようですが」
手元のハンドコンピューターを操作しながらジョンが答えた。
「それはまあ、和泉のやつには悪いがこっちとしては助かる」
「しかし、木星基地からの亡命司令官が向こうで要職に就いているそうです。油断は禁物かと」
「確かにな。こちらとしても、あたら有能な人材を向こうには渡したくはない」
プシュー。
と、司令室のドアがコンプレッサーの音を上げて開くと、扉の向こうから、赤毛で長髪の女性士官が入ってきた。
「イルミア・レンディーリン少佐、ただいま着任しました。これより任に就きます」
「うむ、ご苦労・・・って、イルミア、別に俺達の仲だろう、他人行儀でなくてもいいんだぞ?」
「・・・それもそうだね。あんたに敬語を使うのって、実は結構疲れるんだ」
そう言うと、イルミアは来客用のソファーに腰を下ろした。ジョンがコーヒーを出す。
「ありがとう。・・・でも、本当に久しぶりだね、グエン」
コーヒーを一口飲んでから、イルミアは懐かしそうな顔をしてグエンの方を向いた。
「おう、士官学校を卒業してから、3人とも行き先が違ったからな」
「私は、あの卒業式のときから3人の時間は止まっていたと思っていたんだ。・・・だけど、カズはそうじゃなかった・・・」
そう言って、イルミアは視線を落とす。
「・・・和泉だって、好きでクーデターに加担した訳じゃないだろう。しかし、同盟軍側にとって、和泉の能力は欠く事の出来ない物だと言うのは、俺だって解る」
「だけど・・・!」
さらに言葉を続けようとしたイルミアだったが、語尾を飲み込むと、ぐっとこらえるように下を向いた。
「俺は、今編成している新しい宙軍を率いて、連邦と同盟が平和に事を進める事が出来ないか努力してみようと思っている」
「!?グエン、あんたまさか・・・」
「別に俺がクーデターを起こそうとか、そうは思っちゃあいない。俺はその器じゃないからな。だから、俺は俺なりのやり方で、平和を取り戻せないか努力するつもりだ」
そう言ったグエンの横顔を、イルミアは黙って見つめていた。
「・・・そうだね。カズに出来て、私たちに出来ない訳無いもんね」
「ああ。宙軍を任された以上、俺は俺のやり方で行く。で、イルミア。おまえの力を貸してほしい」
真剣なまなざしでイルミアの方を見るグエン。
「ふん、答える前から私の答えなんて解っているくせに・・・」
そう言うと、イルミアは立ち上がった。
「じゃあ、私も仕事に戻るよ。まだ司令室にすら顔を出していないんでね」
「おう、よろしく頼むぞ」
「まかせときな」
そう言い残し、イルミアは部屋を出ていった。
「ずいぶんと頼もしい援軍ですな、これは」
ジョンがコーヒーカップを片づけながらグエンに言う。
「おう。あいつが居てくれりゃあ、地球内部で恐い物はない。たとえ相手がレディウムだろうと、あいつは一歩も引かんだろう」
そう言うと、グエンは楽しそうに微笑んだ。
<ゼムトラン、銀河自由同盟軍総本部>
「グエンが宙軍の前線総司令官に?」
その情報は、同盟軍の再編成作業を行っていた和泉の所にもたらされた。
同盟軍は、連邦の土星・天王星・海王星・冥王星・ゼムトランの各惑星駐留軍をそのまま吸収した形で編成されている。その為か、連邦軍の様な多極構造ではなく、宙軍がそのまま同盟軍の全てといっても過言ではない編成形態を取っていた。
そのため、設立当初より組織としてかなり無理が出てきたので、和泉が全てを取り仕切りつつ編成の変更を行っていたのだ。
「やれやれ・・・これでまた、連邦政府は同盟との和平を望んでいない事が明確になってしまいましたねぇ」
書類整理の手を休め、和泉はそうつぶやいた。
「取り敢えず、現在ではお互いぶつかれるほどの戦力を保持しておりません。奇妙な話ですが、戦時中にもかかわらず平和なので、この状態が継続すればよいと言う話も出ていますのよ」
エリムがそう言って、和泉の所に紅茶を持ってきた。
「はい、司令。休憩のお時間ですわ」
「やあ、すまない。・・・まあ確かに、今の状態は停戦状態に近い物が有る。そう言った意味では、今の状態が続くのも悪くはないけど・・・」
「この状態、決して長続きはしない。そうですね?」
「残念ながらエリム中尉の言う通りだ。同盟の独立を維持するには、連邦軍との戦争も辞さない。これがイリッツ・メルディック大統領の今の所の方針だからね」
そこで一旦言葉を切ると、和泉は紅茶を一口飲んだ。
「・・・そうだな。半年後が・・・一つの転機になるでしょう」
「半年後・・・ですか?」
エリムが怪訝そうに聞き返す。
「そう、半年後。多分それまでに両軍は3回程度ぶつかる筈ですから、その戦果によっては、連邦と同盟の共存・・・若しくは、新しい『地球連邦』としての再出発も考えられます」
「新しい・・・地球連邦・・・」
「そう。元はと言えば同じ地球星系の人間な訳ですから。再び一つに戻る事が不可能ではない筈です」
そう言うと、和泉は残りの紅茶を飲み干した。
「現時点では、夢のまた夢・・・ですけどね」
<火星・レディウム工業本社ビル>
火星。
地球連邦最大の企業「レディウム工業」の本社が設置されている所。
それ故に、本社ビルが設置されている所から周囲10km以内は全てレディウムの関連企業の建物が並んでいた。
人呼んで「レディウム城下町」である。
「主力艦隊の小型化、艦隊数の増加。質より量と言いたいが、あながち「質」も伴っていないとは言い難し・・・か。なかなか上手い方法を考えたもんじゃないか、連邦軍は?」
社長室で報告を受けたザレイン・レディウムはそう言うと、愉快そうに笑った。
「まあこれで、滞りぎみだった軍需産業部門が活気を帯びてくる。同盟側との縁が切れてしまったのが痛いが、まあそれもそのうち裏ルートでこちらの商品を買う事になる」
「報告は以上でございます。他には何か?」
報告を終わった部下らしき男がザレインに尋ねてきた。
「そうさな・・・よし、諜報部に言って、同盟軍の詳細な情報を手に入れさせろ。時間は構わん」
「解りました。では、失礼いたします」
男が出て行った後、ザレインは再び含み笑いをもらした。
「まあ、後は好きなように踊るが良いさ。所詮地球星系は我らが手の内だ」
続く。