小樽水上オルゴール堂シリーズ・番外編
「手宮の守人」
(Episode:HM−13b4・芹凪、HM−13f375・美菜子(ToHeartオリジナルキャラ)
/連載SSシリーズ1作目・番外編第12話)


 ――その船は、毎年この時期になると、決まってその場所に錨を下ろし、何をするでもなく、ただ波間を漂っていました――。


 あれは、確かマスターと私が今のオルゴール堂に引っ越して来た頃です。
 お休みの日に、縁側から、水没している小樽の街並みを見ていた時。
「・・・あら・・・船?」
 以前、『手宮』と呼ばれていた辺りに、船・・・ごくごく小さい船が、錨を下ろして波間に漂っているのを見掛けました。
 その時は何とも思わなかったのですが、それ以来、天気の良い日には必ずと言って良いほど、その場所にその船は錨を下ろしていました。
 それから、ずっと見ていて解ったのは、雪が溶けて八重桜が咲く頃にその船はその場所に出て来て、また雪が降る頃には居なくなっていると言う事でした。

「・・・あ」
 そして、今年もまた。
 その船は、その場所に居ました。
「・・・・・・よし」
 ある、『五月晴れ』とでも言う様な、空がものすごく高く見えた、晴れた日。
 今日はお店がお休みで、マスターもミナちゃんも庭いじりをして居て。
「マスター、ミナちゃん、ちょっと出かけて来ますね」
「お〜、買い物かい?」
 額に汗を光らせながら、マスターが聞いて来ました。
「いえ、ちょっと海まで。もしかしたら、泳ぐ事になるかもしれません」
「・・・はぁ?」
「では、行って来ます」
「あ? お、おい、芹凪・・・?」


 鞄の中には、その『もしかしたら』の為に、ちゃんと着替えも用意して。
 私は、路面電車で小樽の港の方まで。
 もしかしたら、港からなら良く見えるかしら。

 ・・・ところが。
「・・・まだ、遠いですね・・・」
 昔の鉄道の駅があった所が今の小樽港なのですが・・・まだまだ遠いです。
 取り敢えず、海岸沿いにずっと歩いて見る事にしました。

 ・・・でも、やっぱり。
「・・・やっぱり、遠いですね・・・」
 30分くらい歩いたのですが、やっぱり遠くて。
 いえ、距離は確実に縮まってはいるのですが、船は陸から割と離れた所に浮かんでいまして。
「・・・仕方無いわね。ここは一つ、覚悟を決めて」
 私は、靴を脱いで鞄にしまうと、それを頭の上に持ち上げるようにして、そのまま海の中へざぶざぶと。
 10歩くらい水の中を歩くと、底の方には昔の小樽の街並みが見えて来ます。
「・・・水が綺麗・・・」
 良く見ると、その水の中で、信号が動いていたりします。
「・・・・・・」
 水さえなければ、人が住んでいてもおかしくはない光景。
 暫くの間、見とれてしまいます。


「・・・さて、と」
 しばらくその景色を堪能した後、私は犬かきの要領で、船の方に。
 鞄は頭の上に載せるようにして泳いでいますから、陸の方から見たら、鞄に手が生えて泳いでいるように見えたかもしれませんね。

 そして、また10分くらい泳いで。
 私は船のそばまでやって来ました。
「・・・・・・」
 いきなり来ちゃったけど、大丈夫かな?
 ちょっと思いとどまりそうになりましたけど、せっかくここまで泳いで来たのですから。
 船のへりをノックします。

 こんこん。
 こんこん。

「ん? 魚でもぶつかっておるかな・・・って、うおわっ!?」
「あ、こ、こんにちわ」
 船の中から顔をのぞかせたのは、白いヒゲのおじいさんでした。
「・・・お嬢さん、どうやってココまで来たんじゃい?」
「えっと、あの、あそこから泳いで・・・」
 私が、泳ぎに入った海岸を指差すと、おじいさんはちょっと驚いた顔をしましたが。
「・・・はっはっはっは! こりゃあ傑作だ! イヤ、ワシもかなり長生きした方じゃが、これほど面白い事は久しぶりじゃよ」
 次の瞬間、豪快に笑い出していました。
「さ、ワシに用事があったんじゃろう? まあ、狭い船じゃが、上がった上がった」
「あ、では、お邪魔致します」
 ひとしきり笑ったおじいさんに引き上げてもらい、私はいつも見ていた船の上に。

「ほう、お嬢さんはあのオルゴール堂の店員さんだったか」
「え? うちをご存じなのですか?」
「そりゃあ、まあな。仲の良いロボットの姉妹が居る店って言うんで、町じゃあ有名じゃぞ」
「え・・・ええっ? そうなんですか?」
「そうじゃよ。まあ、水上さんのオルゴールは評判も良いがの」
 何か恥ずかしいです。
「はっはっは、まあ、そう照れなさんな」

「しかし、今日はちと暑いとは言え、まだ水にはいるには寒かろうて」
「いえ、平気でしたよ」
「そうか? ふーむ、若いっていいのぉ」
「いえあの、若いとかそう言うのじゃなくて、その・・・」
「イヤイヤ、ワシくらいの年になると、こう言うのは『年寄りの冷や水』って言ってな、何事も体に障るようになるんじゃよ」
「はぁ・・・」

「お嬢さん、昼飯といっても、魚しかないが、魚は食えるかい?」
「あ、はい。どうもすいません」
「何々。客人をもてなすのは、主の役目じゃて。と言っても、料理は我流じゃがの。・・・っと、ほい」
「あ、すいません。・・・あ、すごくおいしいです」
「まあ、新鮮さが売りだからの」

 そんな、他愛も無いおしゃべりをずっとしていて、そろそろ日が傾いて来た頃。
「・・・さて、じゃあそろそろ本題を話すとするかの」
 おじいさんは、ぽつりと、そう言いました。
「お嬢さん、あんたが来た理由じゃが、何でワシがココに居るか、を聞く為だろう?」
「・・・ええ、そうです。私が今のオルゴール堂の場所に引っ越してから、もうかなり経ちましたけど、ずっとおじいさんの船を見ていたので」
「そうか・・・ずっとあの丘の上からみとってくれたのか」
 おじいさんは、夕日に浮かぶ丘のシルエットを眩しそうに眺めながら、そう言います。
「お嬢さん、このあたりが昔、『手宮』って呼ばれて居た事は知っているかの?」
「ええ、知っています」
「この手宮って土地はね。北海道・・・今では『蝦夷の国』って呼ばれているが。この北海道で、初めて鉄道が走った土地なんじゃよ」
「・・・そうなんですか」
「その頃から生きている訳じゃあないんだが、ワシはこの土地で走っていた鉄道を運転していたんじゃ」
「・・・運転手さん、だったのですか」
「ああ。と言っても、このあたりが水没するよりも遥かに昔の話だがな」
 そう言って、おじいさんは水面に目を向けます。
 つられて私も水面を見ると、海の底には・・・。
「・・・汽車?」
「そう。この土地を走る線路は、採算が取れないってことから、廃止になってな。その跡地に、列車とかを飾っておく博物館が出来てね。鉄道会社を辞めたワシは、そこで働いておったよ。・・・いつの日か、この土地に再び列車が走る事を祈ってね」
「・・・そうでしたか・・・」
「そして、今は全て海の底。・・・ま、すべてのものは、この惑星(ほし)では、海に還るのがしきたりだからの。それを、ワシは生きているかぎり見届けようと思ってな」
 そう言って、おじいさんは楽しそうに笑っていました。
「それが、ワシがココに居る理由じゃよ。ま、年寄りの道楽って所かの」

「さて、まもなく日が暮れるな。では、帰るとするかの」
「え? あ、はい」
 船は、小樽の港を目指します。
 最後に振り返ると、海の底に、今にも動き出しそうな数々の列車。

「今では、あの列車たちも、魚の住みかになっていてな。彼らなりに、新しい役目を全うしていると言う訳じゃよ」
 別れ際に、そう言っていたおじいさんの言葉が印象的でした。


 その船は、毎年この時期になると、決まってその場所に錨を下ろし、何をするでもなく、ただ波間を漂っています。
 海の底に眠る、汽車たちの行く末をゆっくりと見守るように・・・。

〜 おしまい♪ 〜