・第3章「前夜祭」・
そして、前夜祭の日がやってきた。
「しかしさぁ、『前夜祭』だからって、本当に夜にやる事無いと思わない?」
部室に顔を出すなり、いきなり知美がそう文句を言った。
「いいんじゃないですか? これはこれで、中々に楽しいイベントですよ」
健がそう言いながらも、準備に余念がない。
そう、桜ヶ丘高校の文化祭の前夜祭は、文字通り「前の日の夜」に行われる。
大抵の場合は前の日の夕方6時に始まって9時頃に終わるのだが、盛り上がりによってはそのまま10時、11時・・・と進んで、気がつけば日付変更線を越えていた、何て事もまま有ると言う。
それでも学校側が文句を言わないと言う事は、ただの放任主義か、あるいは学生の自主性を重んじているのか・・・。
そんな事で、今年の文化祭も前夜祭から盛り上がりを見せていた。
「何かすごくにぎやかだけど、楽しくていいね〜」
と、綾乃が金魚の入ったビニール袋を下げて部室にやってきた。
「綾ちゃん、どうしたの、その金魚?」
「あ、知ちゃんここに居たんだ。あのね、グラウンドに夜店が並んでいたんだ。どこかの部活の人らしいんだけど、そこに金魚すくいがあったから、やってきちゃった♪」
見ると、袋の中には5匹くらい金魚が入っている。
「へぇ・・・運動が苦手な綾ちゃんが金魚すくいで5匹もすくってきたなんて、意外ね〜」
知美がそう言ってにやりと意味ありげに笑う。
運動の得意苦手が金魚すくいと関係あるとは思えないが・・・。
「あ、え、え〜と、・・・その・・・おまけしてもらっちゃった♪」
そう言って、ぺろっと舌を出す綾乃。
「やっぱりね。美人は得ね〜、羨ましいわ」
そう言って知美は綾乃から金魚を受け取った。
「ねえ、綾ちゃん、これどうする?」
「う〜ん、うちで飼えないかなぁ・・・?」
「でも、うちでときどき隣のおばさんの猫をあずかるよ?」
「あ、そっか〜」
そう言って、綾乃は困ったような顔をして考え込んでしまった。
「・・・引取手が居なければ、部室で飼うっていうのはどうです?」
と、部室の奥のほうで準備をしていた健がそう言ってきた。
「え? でも、金魚鉢も何も無いよ?」
「それくらい、私の家にある奴を提供しますよ」
そう言いながら健が奥から出てきた。
「はい、このコーヒー、ちょっと味見をお願いしますね、お二人さん」
そう言って、健が綾乃と知美にコーヒーカップを渡す。
「う、うん」
「何、お店で出すコーヒー?」
「そうです。取り敢えずサイフォンとかの使い方を思い出すついでに入れてみたのですが・・・いかがでしょう?」
綾乃と知美は一度顔を見合わせると、受け取ったコーヒーを一口飲んだ。
「・・・うん、いい感じじゃないの? 濃さも丁度いいし、おいしいよ」
知美がそう言う。
一方の綾乃はと言うと・・・。
「・・・苦ぁい・・・健さん君、これって、お砂糖とか入っていないの?」
渋い顔をして健のほうを見た。
「あ、ブラックは駄目でした、綾乃さんは?」
「そうそう、綾ちゃんってすっごい甘党なんだよ〜」
「べ、別にいいじゃないの〜!」
それを見た知美と健は同時に笑い出していた。綾乃だけが渋い顔をしている。
「はいはい、お砂糖はカウンターのビン入りを使っていいですよ」
「うん、じゃあそうする」
綾乃が砂糖を入れにカウンターのほうに行った。
「ところで、金魚の話、どうします?」
健が知美に聞いてきた。
「ずずっ・・・ん? あ、金魚ね」
一方の知美はコーヒーの残りを飲み干していた。
「綾ちゃんがすくってきた金魚だから、綾ちゃんに決定権が有ると思うんだけど・・・」
「それもそうですね。綾乃さん、金魚の話、先程のとおりで良いですか?」
「え? あ、ここで飼うってお話し? うん、いいよ〜」
見ると、綾乃は砂糖を4杯ほど入れていた。
「・・・綾乃さん・・・それ、いくらなんでも入れすぎじゃないですか?」
「え? そうかなぁ? いつもこれ位は入れてるよ?」
「・・・良く体壊しませんね?」
健があきれて知美に聞いた。
「うん、砂糖って機械には良くないって聞いたんだけど・・・綾ちゃんは例外みたい・・・」
その後、雹吾と宗一郎がやってきた。
二人とも両手に焼きとうもろこしとかたこ焼きとか、いわゆる「屋台の食べ物」をたくさん持ってきていた。
「よう、夜店、なかなか楽しいぜ」
「そうそう、暇が出来たら見に行くといいでござるよ」
「はぁ・・・のんきなもんだね。僕に準備任せっぱなしのくせにさ」
入ってきた二人を見て、健があきれたように言う。
「おお、すまんすまん。ちゃんとお土産買って来たからさ」
そう言うと、宗一郎は健に焼きとうもろこしとたこ焼きの入ったビニール袋を渡した。
「・・・ま、今日はこれで勘弁するか」
「済まんな、実はブラバンの方も忙しくってな。この後野外コンサートが有るんだ」
そう言って、宗一郎はもう一方の荷物をカウンターに置いた。
「んじゃま、そういうことでちょっくら行ってくらぁ。暇だったら見に来てくれよ」
そう言い残し、宗一郎は部室から駆け出していった。
「こっちはもう準備は終わったけど。じゃあ、徳川の晴れ舞台でも見に行くかい?」
健がそう言って、全員がそれに同意した。
部室を出ると、丁度ユイがやってくる所だった。
「あ、みんなどこかに行くの?」
「お、ユイ嬢遅かったでござるな」
「うん、ちょっと、徳川君捜していたんだけど・・・」
「徳さんなら、これから野外コンサートがあるって言って、張り切って出て行ったわよ?」
知美がそう言いながら、部室に鍵をかける。
「あ、そうだったんだ。それで教室を捜しても居なかったんだ」
「これから見に行くでござるよ。ユイ嬢も来るでござる」
そう言うと、雹吾は先頭を歩き出した。
「あ、はい」
ユイもそれに着いて行く。その後を、残りのメンバーがついて行った。
「ところで徳さんって、入学してからブラバンに練習に行ったことあったっけ?」
コンサート会場になっているグラウンドに向かいながら、知美がふとそんな事を言ってきた。
「ん〜・・・そう言えば、無かったような」
健が少し考えながらそう答える。
「ユイちゃん、徳さんがブラバンに行った所、見た事有る?」
知美がユイに尋ねた。
ユイは口元に手を当て、少し上を向きながら考えて、
「え〜と・・・一度だけ。先月・・・かな? ブラバンの先輩が図書館で話をしていた私達の所に来て、そのまま徳川君連れて行かれちゃったけど・・・」
と答えた。
やがて、5人はグラウンドまでやってきた。
「お、結構集まっているでござるな」
グラウンドのほうを見た雹吾がそう言う。
見ると、確かにかなりの人数が集まっている。
「うちの学校のブラスバンド部って、結構レベルが高いらしいのですよ。コンクールとかでも割と上位に名前を連ねているらしく、全国大会でも常連高校だって」
健が会場を見ながらそう言った。
「へ〜、そんな所からお声がかかっていながら、何で徳さんは探偵同好会のほうがメインなんだろう?」
知美がもっともな疑問を口にした。
「う〜ん、確か・・・『自分の時間は自分の為に使いたい』みたいな事を、前に徳川君言っていたけど・・・」
ユイがそう言うのを、残り全員が頷いて聞いた。
「なるほど」「徳さんらしいね」
そう良いながら、5人はステージそばまでやってきていた。
観客席は特にイスとかは用意されておらず、ビニールシートがひいてあるだけだった。
対して、ステージも舞台が置いてあるわけではなく、バックネットを後ろの壁にしてその前にブラスバンドのメンバー用のイスが並べてあるだけだった。
「おっ、始まるみたいでござるよ」
雹吾の示す方を見ると、確かにブラバンのメンバーらしき集団が、楽器を抱えながらやってくる。
特にコスチュームとかが決まっている訳では無いらしく、全員が思い思いの恰好をしていた。
「あ、徳さん君が居たよ」
綾乃が差す方を見ると、トランペットを持った徳川が歩いてくる所だった。
そして、特にアナウンスが有る訳でもなく、野外演奏会は始まった。
最初はオープニングにふさわしく、力強い行進曲。
2曲めは変わって静かに、木管楽器がメインの夜想曲。
・・・・・・。
そして、何曲目か数えるのも忘れた頃。
「あ、徳川君が立ち上がった・・・」
ユイが言うまでもなく、徳川が立ち上がって楽器を構える。
そして、ソロ演奏が始まった。
「・・・・・・」
「・・・上手・・・」
流れるような指使い、歌うようなメロディー。
「初めて聞いたけど、徳川の腕って、確かだね」
健がそうつぶやいたのを、全員が頷いた。
やがて、野外コンサートは終わり、何事も無かったのようにブラバンの部員達はその場を立ち去り、観客も三々五々と散って行った。
「・・・じゃあ、部室に戻りますか」
「そうだね」
部室に戻ると、程無くして宗一郎が帰ってきた。
「徳川君、すごく上手じゃない!」
ユイが宗一郎に駆け寄って、そう言う。
「いやぁ、大したもんじゃねぇよ」
照れながらも、まんざらそうじゃない宗一郎。
「いやいや、かなりの腕でござるよ。なのに、何故徳川はブラバンに入らなかったでござるか?」
雹吾がそう言ったのを聞くと、それまで嬉しそうだった宗一郎はなぜか黙り込んでしまった。
「・・・・・・」
「・・・何か、辛い事でもあったでござるか?」
「・・・昔の話さ。みんなには関係ない」
それっきり、宗一郎はその話題には触れなかった。
やがて、前夜祭は生徒会の放送をもって終了した。既に、時計は夜10時を回っていた。
「じゃ、明日は7時半までに部室に集合を忘れないでね」
「はーい、じゃあ、おつかれさま〜」「また明日〜」
いつもの如く、「桜街道」の下で別れる探偵同好会のメンバー。
宗一郎とユイは、黙ったまま歩いていた。
「・・・ユイちゃん?」
「・・・え? 何、徳川君?」
帰り道の途中、突然話しかけられて、多少驚くユイ。そんなユイの様子には構わず、宗一郎は話しを続けた。
「オレがブラバンに所属していない理由、聞いてくれないか」
「・・・うん。でもいいの、私なんかで?」
「君だから、聞いて欲しい」
宗一郎はそう言うと、一息ついてからつぶやくように語りはじめた。
「中学の頃、オレはブラスバンドでメインプレイヤーって呼ばれていた。もちろん、それに至るまでには血の滲むような努力もした」
「・・・」
「実は、格闘技の為なんだ」
「格闘技の為?」
ユイが、解らないと言う顔をする。
「格闘技って、ある程度は練習で何とかなるもんなんだけど、それ以上に到達するには、リズムを作る必要があってね」
「リズム?」
「そう。・・・う〜ん、何て言うか、試合運びを自分のものにする一定のテンポって言うか・・・。それを身につける為に始めたブラバンだけど、どうも一度やり出すと徹底的にやらんと気がすまなくて、気がつけばメインプレイヤーの地位を得ていたんだ」
「ふ〜ん・・・」
「で、コンクールが始まるって言う3日前。ちょっとした事でオレは道場で他流試合に巻き込まれて、そこで腕の骨を折っちまった」
「!」
思わず息を呑むユイ。
「もちろん楽器も構えることができなくなってしまって、オレはコンクールに出場できなかった。・・・それよりも、他のメンバーに与えた心理的動揺のほうが大きくて、結局そのコンクールは最悪な結果に終わってしまった・・・」
「・・・・・・」
「それからかな。どうもトラウマになっちまって。1週間後には退部届を出して、ブラバンを辞めた」
そこで、フッと寂しそうに笑う宗一郎。
「結局、それが原因で格闘にも本腰が入らんくなってな。で、今では探偵同好会でのんびり余生を送っていると言う訳さ」
「・・・・・・」
「ごめんね、つまらん話聞かせてしまって」
「・・・ううん、いいの」
丁度その時、ユイの家の前に着いた。
「じゃ、また明日な」
手をあげて帰りかける宗一郎。
「あ、徳川君!」
「ん? どうした?」
振り向いた宗一郎に、ユイが抱きつく形となる。
「!? どうした?」
「徳川君、あまり自分を責めちゃ駄目だよ・・・」
潤んだ目で見上げるユイ。
「・・・・・・」
しばらく黙って見つめあう二人。
「・・・ん。ありがとな」
そして、彼らはしばらくそのままその恰好で立ち尽くしていた。
続く。