〜時思う〜
(文字使いの紅茶さん提供)
降誕祭の前日は幸運にもお休みだったので、あなたへの贈り物を探しに隣街まで出掛けました。
街はいつもよりは賑やかでしたが、遠くから子供達のソプラノを聴くのに苦にならない程度です。
隣とはいえ、滅多に足を踏み入れたことのない街で、だからこそ何か特別な物が見つけられる予感がしました。
駅前の通りをぼんやり進み思いがけず小さな路地を曲がって、石畳の細い道を歩きました。
この季節に雪が降らなくなって久しいですが、人工的に作られた新雪にわたしの足跡だけがつづられていきます。
細い道は意外にも長く続きましたが、やがてレンガ作りのアーチをくぐり抜けると、小さな円形の広場に辿り着きました。
中央に噴水がありましたが、水はちょろちょろと流れるほどです。
透き通った水面の下には硝子玉が敷き詰められていて、薄曇りの穏やかな日射しが当たり、輝いて見えました。
広場に全く人影はなく、遠くから昼を告げる鐘の音が聞こえてきます。
そのとき地面に写る影で一羽の鳥が通り過ぎたのを感じました。
そして鳥の影が消えていった方向にお店がありました。
墨で『星屑談義』と書かれた板が、壊れた椅子の上にぽつんと置いてあります。
椅子の隣には陶器でできた古い人形が二体。
何かに招かれたかのように、私は店内に足を踏み入れました。
店内は薄暗く、目が慣れるのに少し時間がかかります。
具体的にどんな匂いかわからなかったのですが、微かに香の匂いがしました。
やがて辺りが見えるようになり、予想以上に店内が狭いことに気がつきました。
そしてこの雑然とした物の置き方を見る限り、主人が生業としてこの店をやっていこうとしているわけではないと思いました。
実際、主人の姿はなく適当な物に適当な値段をつけて置いてあります。
趣味としてやっているようなお店で、一体どんな品物を売っているのか興味を覚え、手近な物から見ていきました。
やがて一つの品物に出会いました。
それはなんとも奇妙な代物で、螺旋に絡まる2つの巻貝でした。
説明書きも『時思う貝』と素っ気無く記されていて、どのような物なのかはさっぱりわかりません。
ただ非常にわたしの心を揺さぶるので、それを購入することにしました。
値札を見れば、『時価』と書かれていてどうにも途方にくれてしまいました。
とりあえずよく見ようと、その貝を手に取りました。
『時価というのは、お客さんが思う金額だけを出していただけばよいのですよ。』穏やかな老人の声がどこからともなく聞こえたのでした。
そこで私は姿の見えない主にいくばくかのお金を置いて、(いくら置いてきたのかは秘密です。)その店を後にしました。
街の通りに戻って驚きました。
人々の声が聞こえるのです。
それは表面でかわした言葉ではなく、思いであることに気がつきました。
誰かを、何かを思うこと。
何人もの雑多な思いは一つの音楽となって街をおおっています。
心を澄ませば人々以外のものからも伝わってきました。
道ばたを歩く猫、建物、落ちている石までも。
『時思う貝』の使い方が少し分かった気がしました。
だからこれをあなたに贈ろうと思います。
受け取っていただけますか?