・交通資料館・
(札幌市交通局)
地下鉄南北線、自衛隊前駅のそばの、地下鉄のガード下にある、札幌市交通局管理の「交通資料館」です。
ここでは、かつて使われていた路面電車の車両やバス・トラック等の車両、それに地下鉄の南北線で実験された実験車両等を保存してあります。
残念ながら動態保存ではありませんが、路面電車等は保存状況は良好で、中に乗って見学する事も可能でした。
そんな中で、バス・トラック系はここでは省き、路面電車・地下鉄関係車両を掲載する事にします。
「22号電車」
札幌路面電車の歴史で、初期の頃に運用されていた車両の実物です。
保存状況はすこぶる良く、この車両に限っては屋内に設置されております。
明治時代の絵とか見ると、こんな感じの電車が走っている様子が良く描かれておりますね。
「TC1」
昭和36年代に導入された、「TC1」です。
この特徴は、朝夕の通勤通学ラッシュ時は「M101」と言う親車両に連結されて2両編成で運用され、昼間等閑散時はTC1を切り離して「M101」の1両のみで運用されたという点です。
そこから、「親子電車」の愛称で親しまれました。
ちなみに、昭和45年に「M101」はワンマンカーに改造されました。
「A801−A802」
昭和38年に、混雑緩和の為「M101・TC1」の親子電車に引き続いて導入された、永久連結電車「A801−A802」です。
これは同型種の1号車で、特徴は連結部分に台車が有る事ですね。これを含めて、3台の台車の上に車体が乗る形になっております。
なお、このタイプの連結車両はその後も増えてゆき、最終的には13編成(26両)が活躍しました。
「D1041」
「日本唯一」の、ディーゼルエンジン搭載タイプの路面電車「D1041」です。
昭和33年に新路線建設の際、架線を張らずに運用出来る電車と言う事で、試験車「D1001」を導入。その後、順次導入をして行き、変電所が建設されて架線が張られるまで活躍しました。
その後、順次電車へと改装されたのですが、この車両を含めて4両がそのままディーゼル車として運用されました。
なお、この車両辺りから、「札幌市電の形は大まかにはこの形」と言うのが定番になり、全国に知られるようになったようです。
「つり革の広告」
驚くべき事に、とある車両のつり革を見て見ると、このように広告が付いていました。
今ではどの車両を見てもこのような物は付いておりません。
「雪8」
大正11年頃に開発されたささら電車「雪8」です。
当時、路面電車は「札幌電気軌道株式会社」と言う民間会社によって営業しており、昭和2年に札幌市によって買収され、市電として発足するまでは民間会社運営の路面電車だったのです。
その札幌電気軌道で冬期間の除雪用に導入されたのがこの「雪」形式の電車で、合計8両が導入されました。
この車両から、除雪用のブラシにささらが導入されたので「ささら電車」の愛称が広く一般に広まる事になります。
これは、昭和43年まで使用されていましたが、老朽化の為昭和45年までに7両までは改装されましたが、この「雪8」のみが木造電車としてその使命を終えました。
「321」
昭和32年から導入が始まった機体で、「320型」と命名された車両です。
この型から、ドアエンジン、蛍光燈、2パンタグラフの採用等の新しい技術が採用され、この形式は8両導入されました。
昭和45年にはワンマンカーに改装されましたが、昭和48年に行われた一部路線廃止で、この形式の車両はすべて姿を消してしまいました。
「601」
札幌市が、戦後の混乱から立ち直り、人口の増加に伴う通勤等の輸送に対処する為に、昭和24年から3年間で20両を導入した大型車両です。
特徴は、半鋼製と言う事で、車体の一部が木造な事。
導入当初は後ろに有った入口を中央に移す、正面窓を1枚湾曲ガラスにする等の改造が加えられ、昭和46年12月に全車両が廃止になるまで23年もの長い間活躍した機体です。
「はるにれ」
昭和40年11月に、ゴムタイヤ式の地下鉄開発の為に開発された「高速電車第3次実験車両『はるにれ』」です(地下鉄の事を「高速電車」と称します)。
この車両は直列8気筒ガソリンエンジンを2台搭載していて、札苗実験場(線路長676m)にて高速実験・冬季実験が行われました。
その資料を元に、営業車両とほぼ同一の性能を持った第4次実験車両「すずかけ」が開発されました。
「すずかけ」
昭和42年10月から昭和44年8月までの間、札苗実験場(線路長676m)に置いて地下鉄南北線の基礎データを得る為に、総距離にして50000kmを走行した、高速電車第4次実験車両「すずかけ」です。
一見トレーラー風ですよね(笑)。
「1001・1002」
札幌地下鉄南北線の営業車第1号です。
特徴は何と言っても、世界初のゴムタイヤを使用した案内軌道方式の車両を使用した事。
乗心地の向上と騒音防止の観点から空気入りゴムタイヤを使用されたこのタイプの車両は、昭和45年に製造されたこの車両を始めとして、合計160両が製造されました。
これを基本として、東西線の大型車両等が開発されて行く事になります。