・道内廃止路線・廃止区間・
ここでは、北海道の歴史の1ページに確かに名前を残した、そんな廃止路線・区間を紹介します。「いつかは復活」を夢見つつ。
廃止路線・区間名 | 区 間 | 営業キロ数(単位:Km) | 廃止年月日 |
胆 振 線 | 京 極 〜 脇 方 | 7.5 | ’70.10.31 |
根 北 線 | 斜 里 〜 越 川 | 12.8 | ’70.11.30 |
札 沼 線 (現在の「学園都市線」) |
新十津川 〜 石狩沼田 | 34.9 | ’72. 6.18 |
函 館 本 線 | 美 唄 〜 南美唄 | 3.0 | ’73. 9. 8 |
千 歳 線 | 旧上野幌 〜 東札幌 | 9.3 | ’73. 9. 9 |
函 館 本 線 | 東札幌 〜 月 寒 | 2.8 | ’76. 9.30 |
函 館 本 線 | 桑 園 〜 札幌市場 | 1.6 | ’78.10. 1 |
函 館 本 線 | 近 文 〜 旭川大町 | 2.9 | ’78.10. 1 |
夕 張 線 | 紅葉山 〜 登 川 | 7.6 | ’81. 6.30 |
白 糠 線 | 白 糠 〜 北 進 | 33.1 | ’83.10.22 |
万 字 線 | 志 文 〜 万字炭山 | 23.8 | ’85. 3.31 |
渚 滑 線 | 渚 滑 〜 北見滝ノ上 | 23.8 | ’85. 3.31 |
相 生 線 | 美 幌 〜 北見相生 | 36.8 | ’85. 3.31 |
岩 内 線 | 小 沢 〜 岩 内 | 14.9 | ’85. 6.30 |
興 浜 北 線 | 浜頓別 〜 北見枝幸 | 30.4 | ’85. 6.30 |
興 浜 南 線 | 興 部 〜 雄 武 | 19.9 | ’85. 7.14 |
美 幸 線 | 美 深 〜 仁宇布 | 21.2 | ’85. 9.16 |
手 宮 線 | 南小樽 〜 手 宮 | 2.8 | ’85.11. 4 |
胆 振 線 | 倶知安 〜 伊達紋別 | 83.0 | ’86.10.31 |
富 内 線 | 鵡 川 〜 日高町 | 82.5 | ’86.10.31 |
広 尾 線 | 帯 広 〜 広 尾 | 84.0 | ’87. 2. 1 |
瀬 棚 線 | 国 縫 〜 瀬 棚 | 48.4 | ’87. 3.15 |
湧 網 線 | 中湧別 〜 網 走 | 89.8 | ’87. 3.19 |
士 幌 線 | 帯 広 〜 十勝三股 | 78.3 | ’87. 3.22 |
羽 幌 線 | 留 萌 〜 幌 延 | 141.1 | ’87. 3.29 |
幌 内 線 | 岩見沢 〜 幾春別 | 18.1 | ’87. 7.12 |
松 前 線 | 木古内 〜 松 前 | 50.8 | ’88. 1.31 |
歌 志 内 線 | 砂 川 〜 歌志内 | 14.5 | ’88. 4.24 |
標 津 線 | 標 茶 〜 根室標津 厚 床 〜 中標津 |
69.4 47.5 |
’89. 4.29 |
天 北 線 | 南稚内 〜 音威子府 | 148.9 | ’89. 4.30 |
名 寄 線 | 名 寄 〜 遠 軽 湧 別 〜 中湧別 |
138.1 4.9 |
’89. 4.30 |
池 北 線 (「ふるさと銀河線」で営業中) |
池 田 〜 北 見 | 140.0 | ’89. 6. 3 |
函 館 本 線 (上砂川支線) |
砂 川 〜 上砂川 | 7.3 | ’94. 5.15 |
深 名 線 | 深 川 〜 名 寄 | 121.8 | ’95. 9. 3 |
こうやってみると、かなりの数になりますよね。私が生まれる前のとか、実は知らなかった、何て言う路線も有ります。
この中で、特に私の記憶に残っているのが「白糠線」「興浜北線・南線」「広尾線」「歌志内線」「標津線」「天北線」「上砂川支線」「深名線」です。
白糠線は、当時、キハ40/27/54混合10両編成で釧路からお別れ列車が運行されたのが記憶に残っています。
興浜北線・南線は、これがつながれば「興浜本線」としてデビューするはずだったと言うのが。
広尾線は第3セクター移行の話が出ていながら結局計画のみに終わった事が。
歌志内線・上砂川支線は廃れた炭坑町の、一層の過疎化に拍車をかけるというのが。
天北線は、稚内方面へ向かう2路線のうちの片方が消えたと言う事が。
深名線は、極々最近の事だと言うことが。
・・・こう考えると、感慨深い物が有りますね。