「マルチの特訓」
(Episode:HMX−12・マルチ(ToHeart)/小SSシリーズ・その1)
その日、セリオはいつもの様にゲーセン前のバス停でバス待ちをしていた。
桜の花の季節も終り、季節は初夏に向かっている。髪を揺らす風にも、暑さを感じるようになってきた。
ふと見れば、街路樹の緑色もまぶしいくらいだ。
「・・・良い季節になりましたね・・・」
誰に言うと無く、ふとつぶやいたセリオ。
と、その時。
「ふええええ〜〜〜〜〜〜ん、セリオさ〜ん!(泣)」
商店街の奥、ヤックの方角の道から、マルチが泣きながら走って来た。
ぽてっ。
そして、セリオの数メートル前で・・・こけた。
「あうう・・・また転んじゃいました・・・ぐすっ」
セリオはマルチに近づき、助け起こした。
「はぅ、ありがとうございます〜」
「一体どうしたと言うのですか、マルチさん?」
マルチの身体に付いたホコリをはたき落としてやりながら、セリオは尋ねた。
「じ、実はですねぇ・・・ぐすっ・・・あううっ・・・ま・・・」
「ま?」
「ま・・・また、エアホッケーで負けてしまいました〜!(泣)」
話を要約すればこうだった。
いつものように学校帰りにゲーセンに寄った浩之・マルチ・あかり・志保・雅史のグループだったのだが、そこでどう言う事でそうなったかは解らないのだが、志保の提案で、『全員総当たりエアホッケー大会』となったらしい。
そして、当然のごとくマルチは全敗・最下位。
しかも、負けたものの掟として、ヤックをおごらされる羽目になったのだった。
「私、お金を持っていなかったから、浩之さんが全部肩代わりして下さって・・・また浩之さんに迷惑をかけてしまいました・・・ぐすっ」
「・・・・・・」
「お掃除とかなら、まだお返し出来るんですけど・・・お金の事は・・・あうう〜(泣)」
セリオにしがみついて泣いているマルチを、セリオは優しくなでながら、頭の中では別な事を考えていた。
(マルチさんは学習型OS搭載機ですから、あるいは・・・)
「私、私、どうしたら良いのでしょう・・・?」
「・・・お話しは解りました」
そう言うと、セリオはマルチの手をとって立ち上がらせた。
「では、特訓しかありませんね」
「え゛・・・? と、特訓ですか?(汗)」
多少腰が引けて来るマルチ。
「そうです、特訓です。幸い、マルチさんは学習型OS搭載機ですから、エアホッケーも学習すれば上手になる筈です」
「ううっ、そうですか?」
「そうです。頑張って特訓しましょうね」
にこっ。
・・・本気の笑顔・・・。
「あうぅ、が、頑張りますぅ(汗)」
セリオは、マルチを連れて、とある建物までやって来た。
来栖川アミューズメントコーポレーション。
来栖川の系列会社の中で、この会社はアミューズメント関係商品の開発を行っていた。
「確か今日は、綾香お嬢様がこちらに来られている筈です」
建物の中に入りながら、セリオがそう言う。
「へぇ、そうなんですか〜」
そんな会話を交わしながら、セリオはマルチを連れて、「第2開発部試験筐体室」と書かれたプレートのあるドアを開けた。
「あら、セリオじゃ無いの。・・・それに、マルチ? 二人とも、どうしたの一体?」
中に入ると、綾香がちょうど何かのゲームを終わった所だった。
側に居る開発担当者らしい男に、何か二言三言話すと、彼は頷いて手に持っていた紙に何かをメモすると、おじぎをして部屋を出て行った。
「綾香様、ちょっとお願いがあるのですが」
「あら、何? 私にできる事ならいいけどね」
「実は・・・」
事のあらましを綾香に語って聞かせるセリオ。一方、話題の中心になっているマルチは、そばにあるクレーンゲームの試作品をものめずらしそうに眺めていた。
「・・・と言う訳なのですよ」
「なるほどね。でも浩之もひどいわね〜。マルチ相手なら手加減してあげてもいい筈なのに」
やれやれと、綾香は溜め息をついた。
「まあいいわ。じゃあ、マルチ、エアホッケーの特訓をしてあげるわ」
「はいっ、ありがとうございます〜」
「言っておくけど、私の特訓は厳しいわよ〜。覚悟して置いてね」
意味ありげな笑みを浮かべた綾香がそう言った。
「はうぅ、が、頑張りますぅ(汗)」
こうして、マルチのエアホッケーの特訓が始まった。
「ほら、跳ね返る方向はぶつかった角度と同じなんだから、パックの行く先を予想する!」
「はうっ」
「打ち返す時は身体のバネを使って! マルチは小さいんだから、身体で打つようにするの!」
「あううっ(汗)」
「余り横ばかり気にしていると、ゴールががら空きになるわよ!」
がこん!
「あうぅ(涙)」
・
・
・
・
・
「はぁ、はぁ・・・」
「うん、ここまで出来たら、最下位だけはなんとか免れれるんじゃないかしら?」
うんうんと頷きながら綾香がそう言った。
「はぁ、はぁ・・・あ、ありがとうございました・・・」
ぜいぜいと、肩で息をしているマルチ。
「じゃあ、明日にでもリターンマッチね」
そう言うと綾香は、意味ありげな笑みを浮かべた。
翌日、いつものゲーセン。
「・・・まあ、話は解ったけど・・・」
浩之はそう言って、綾香とマルチとセリオの3人を眺めていた。
「何で綾香まで来てるんだ?」
「別にいいじゃないの。マルチのトレーナーとして見に来ただけよ」
「・・・ま、別にいいけどよ」
「ヒロ〜! 来たわよ〜!」
と、入り口のほうから賑やかな声が入って来た。
「おう、来たな」
「で、なんなの一体?」
あかりと雅史を連れて来た志保は、浩之に尋ねた。
「おう、何でもマルチがエアホッケー特訓して来たから、この前のリターンマッチをしたいんだってよ」
「はい、そうなんです〜。・・・わざわざ来て頂いて、すいません」
ぺこっと、おじぎをするマルチ。
「私は別に構わないけど、ヒロは?」
「オレもかまわねぇけどな。あかり、雅史、良いよな?」
「うん、マルチちゃんどのくらい上手になったか見てみたいし」
「僕も構わないよ」
浩之の問いに、頷いて答えるあかりと雅史。
「よし、じゃあルールはこの前と同じって事で」
「あ、ちょっといいかしら?」
そこに、綾香が割り込んで来た。
「何だ?」
「その勝負、私とセリオも交ぜてもらっても良いかしら?」
「はぁ? お前、マルチの後見人じゃなかったのか?」
突然の話に、思わず聞き返す浩之。
「あら、見てるだけじゃあ面白くないし、私だって参加してみたいもの。セリオも良いよね?」
「はい、皆さんさえ宜しければ」
そう言ってセリオは浩之のほうを見た。
「・・・ダメでしょうか?」
「い、いや・・・まあ、人数は多い方が楽しいだろうしな」
そして・・・。
「か、勝てましたぁ!」
マルチは、何とあかりに1勝をしたのだった。
「う、うれしいですぅ! 綾香さん、ありがとうございました〜!」
「・・・まあ、勝ちは勝ちだけど・・・」
綾香はそう言って、手元の対戦表を眺めた。
「・・・結局は、なぁ・・・」
横から浩之もそれを見る。
「・・・ううっ、でも勝ち数では、最下位です・・・」
すぐにしょぼんとなってしまうマルチ。
「・・・ま、結果はともあれ、1勝出来たんだし、努力は報われたんじゃね〜のか?」
そう言って浩之はマルチの頭をなでていた。
「さて、じゃあ今日もマルチのおごりね〜」
志保が嬉しそうに言う。
「あうぅ、私、お金もってないですぅ(涙)」
「・・・ったく、オレが出してやるよ。それで文句ね〜だろ、志保?」
「さっすが、ヒロ! じゃ、さっそく行きましょう〜!」
そう言って、志保はあかりと雅史を引きずってゲーセンから出て行った。
「やれやれ・・・綾香、セリオ、お前らも来るんだろ?」
「もちろん」
何故だか妙に嬉しそうに言う綾香。
「はい、ご一緒させて頂きます」
ちょっと?嬉しそうなセリオ。
「んじゃよ、今度また何かバイト紹介してくれね〜か? 最近またちょっと金欠気味で」
そんな話をしながら、浩之、綾香、マルチ、セリオの4人はゲーセンを出て行った。
『浩之さん・・・いつもいつもすいません』
マルチは、心の中でそっとお礼を言うのであった。