「行楽の秋」
(Episode:柏木 梓(痕)/突発企画シリーズ第5段)
ぽちゃん。
釣り糸を投げ込んだ川面を、紅葉したもみじの葉が流れて行く。
耳をすましても、聞こえてくるのはただ水が流れている音と、時折吹いてくる風の音のみ。
はー、平和だねぇ。
がさがさっ。
「耕一、そっちの戦果はどうだい?」
と、つかの間の静寂が破られたかと思うと、そんな声とともに、梓が後ろの藪の中からやってきた。
「えーと・・・まあ、取り敢えず一人あたり1匹は割り当てれるぞ」
水に浸けてある魚籠を覗き込みながら、オレはそう答えた。
秋に入って、単位に凄まじく余裕が有る事をいい事に、オレは柏木4姉妹の家に遊びに来ていた。
そこで、「たまには秋らしい事をして見たい」と言い出した梓を連れて、鶴来屋の裏手に有るちょっとした山に、紅葉狩りに出かけてきたのだ。
「そっちは何か見つかった?」
「ぜーんぜん。うちの裏山って、こんなに秋のものに乏しいのかって、ちょっと呆れちゃうよ」
はぁっと、溜め息をついて肩をすくめる梓。
「ははは、そんな事ないだろう?」
「・・・そりゃあ、周りを見渡せば、紅葉がすごくきれいだけど・・・」
そう言いながら、梓は周りを見渡した。
つられるようにオレも周りを見渡す。
割ともみじが多いこの山は、見事なまでに秋色に染まっていた。
赤、黄色、そしてそれぞれの混合。
見上げていると、つい時間を忘れてしまう。
「・・・まあ、こうやって時間を忘れて、景色を眺めるのもいいかもね」
そう言いながら、梓はオレの隣に座ってきた。
「そういう事。何も、秋の味覚を探す事ばかりが秋の醍醐味って訳じゃあ無いんだし」
ぽちゃん。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そうやって、しばらく無言のまま、のんびりと時間を過ごした。
「さて、そろそろ帰るかい?」
見上げた空、既に陽は西に傾き、紅く染まって。
紅葉はますます紅く、燃えているかの如く。
こちらを見て微笑む梓の顔も紅く見えて。
「・・・そうだな」
ちょっともったいない様な気もしたが、まあ、また来ると良いさ。
そう結論づけると、オレは釣り竿をしまいこみ、魚籠を手に取ると、梓の方を振り返った。
「んじゃ、帰るか」
「ああ、そうだね。帰ったらそれ、塩焼きにしようよ」
「そうだな」
そう言いながら歩きだしたその向こうに、ふっと浮かび上がった黒い影。
「・・・ん?」
「あ・・・」
一瞬にして、オレと梓の動作が固まる。
何と、そこには熊が居たのだ。
しかも、見たところオレの身長の倍くらいの大きさは有るだろう。
「こ、耕一・・・」
とっさの事に、体が固まってしまっている梓。
「ちぃっ!」
オレは、魚籠を投げ棄てると、梓の前に立って、熊をにらみつけた。
「あ、こ、耕一・・・?」
「しっ、静かに! あまり刺激しないように」
そう言いながらも、オレも背中に冷や汗が流れているのがよくわかる。
そうやって、熊とにらみ合ってしばらくの後。
イヤ、実際は数分の出来事なのかもしれないが、その時間がオレにはやけに長く感じられた。
「・・・・・・」
ぷいっ。
熊は、最後にオレの方を一瞥すると、そのまま藪の中に消えて行った。
「・・・はぁ〜・・・」
オレは、長く長く息を吐き出した。
どさっ。
と、梓がその場に座り込んでしまった。
「あ・・・あはは、何か、助かったと思ったら、急に力が抜けちゃった・・・」
「おいおい、大丈夫か? 立てるか?」
「ああ、このくらい・・・あれ?」
梓は立ち上がろうとしたが、どうにも力が入らないらしく、立ち上がれないでいた。
「・・・仕方ないなぁ・・・ほら」
「あっ!?」
オレは、梓を抱えあげると、背中に担いだ。
「さってと。あまり遅くなると千鶴さんに心配かけちまうから、少し急いで帰るか」
「しかしさあ」
「あん? 何だ?」
帰り道。
森が薄れてきて、町の明かりが見えはじめた頃。
「考えて見れば、『鬼の力』使って追い払っても良かったんだよね」
梓が背中からそんな事を言ってきた。
「・・・あ、そっか、そう言えばそうだったな」
そう言えば忘れてた。
「・・・まあ、結果オーライだって事で、別にいいんじゃないの?」
「良く無い! 何で私が耕一に背負われなくちゃいけないんだ?」
そう言いながら梓はオレの頭をぽかりと殴ってきた。
「おいおい、実際に力抜けちまったどこかの誰かさんを、せっかく運んでやってるのに、叩く事はないだろう?」
「・・・・・・」
はぁっと、溜め息が一つ聞こえてくる。
「まあ、今日は・・・これでも・・・いいかな・・・?」
そして、そんな声。
「そう言う事。たまにはこう言う事があってもいいだろう」
オレがそう言うと、梓はオレにぎゅっとしがみついてきた。
「お、おいおい?」
「・・・耕一の背中・・・あったかいね」
耳元でささやく、そんな小さな声。
「惚れたか?」
「・・・バカ」
− 終わり −