「手をつないで帰ろう」
(Episode:HMX−13・セリオ、HMX−12・マルチ(ToHeart)/投稿作品
/セ印30000カウント踏んだ記念/投稿者:ちょべさん)


 研究所へ帰るバスに乗り込み、マルチとふたり空いている席に座ると、セリオは小さく息をついた。それが一般にはため息と呼ばれるものだという意識もなしに。

 学校での運用試験の1日目。人間の生徒たちに混じっての登校は、メイドロボとして生を受けた彼女たちにとって、初めての本格的な外出でもあった。
 不安と緊張、それを上まわるあこがれと期待。
 朝、研究所を出るときにはそれらの感情に包まれていたはずが、今やセリオの心を占めているのは、混乱と焦り、そして言いようのない無力感だった。

 傍らに座るマルチは、にこやかに今日の出来事を話し続けている。
「そういえば学校で、とても親切な方にお会いしたんですよ」
「そうなんですか」
「はい。その方、わたしのお掃除を手伝ってくださったんです。それでてっきり、お掃除が好きな方なんだなぁと思っていたら、そんなんじゃないと言われて…。うれしかったです、お掃除が好きでもないのに、わたしを手伝ってくださる人間の方がいらっしゃるなんて」
 破顔し、かすかに頬を染めているマルチ。
 セリオは、さりげなく視線を逸らし、窓の外を流れる景色に目をやった。 
 意識するつもりはなくても、つい比較してしまう。
 同じメイドロボであり、同時期に開発された姉でもあるマルチは、今日1日の成果を確実に自分のものにしているようだ。それに引き替え、自分はどうだろう?

 セリオは軽く目を閉じ、街で見かけた風景のひとつひとつを思い起こしてみた。
 あらゆる音、光と色彩。
 センサーを通してセリオに降りそそぐそれらは、サテライトサービスやその他の手段で手に入れた彼女の知識にあるものとは、どれも少しずつ違う。
 友達とはしゃぎ合う子供の歓声、車の排気音。光を反射するガラスの微妙な透明度。街行く人々が纏う、色とりどり服や装飾品。
 なぜ、どこが違うのだろう?
 蓄積されたデータに問題があるとは、まず考えられない。となると、データを処理する自分の方に欠陥でもあるのだろうか?

 自分でも気がつかないうちに、再びため息をついていたらしい。
 目ざとくそれに気づいたマルチが、
「セリオさん、どうかしましたか?」
 心配そうに覗き込んでいる。
「何か心配事でもお有りでしたら、わたしでよければお力になります」
「……」
 セリオがとっさに答えられずにいると、マルチは更に真剣な顔で続けた。
「もしかして、学校で何かあったのですか? 誰かにいじめられたとか?」
「…いえ、何も心配していただくようなことはございません」
 そう、何も。
 好ましくない出来事がなかった代わりに、人に聞いてもらいたくなるような喜ばしい出来事もなかった。
 取りあえずセリオの返事が聞けたことに納得したのか、マルチは、
「それならいいんですけど、何かあったら遠慮なくおっしゃってくださいね。差し出がましいかも知れませんが、わたし、セリオさんの1番の味方のつもりですから」
 そして、彼女にはめずらしく、少しおどけた口調で付け加える。
「だって、わたしたち、姉妹じゃないですか」
「…それは、姉妹でなければわかり合えない、という意味ですか?」
 言わなければよかったと気づいたのは、既に言葉がセリオの口を出たあとだった。
 案の定、マルチは悲しげに口ごもる。
「そういう意味で言ったのではないんですけど…」
 謝らなければ、と思った。しかし、心の内をストレートに表現できる言葉が、今のセリオには思いつかない。
 どう言えば、マルチはわかってくれるのだろう。本当は全部聞いて欲しいのに。学校で人の役に立てたかどうか不安なこと、自分は欠陥メイドロボかも知れないこと、心配してくれるマルチがいるだけで安心できること。

 ふたりとも押し黙ったまま、しばらくはバスの揺れに身を任せていたが、
「マルチさん…」
 不意にセリオは口を開いた。
「あなたにも、サテライトシステムが装備されていれば…」
「…は?」
 唐突なつぶやきに、マルチは怪訝な顔を見せている。
「いえ、マルチさんに限らず、これからお会いするすべての方々に、サテライトシステムが装備されていればいいのに…」
「セリオさん、それはどういう意味ですか?」
 言葉の真意を測りかねているのか、マルチは納得のいかない表情でセリオを見つめているが、セリオは構わず続けた。 
「お姉さんであるあなたとさえ、私は、どんなデータも共有できないのですよ。ましてや、これから私たちがお役に立とうという人間の方たちと、データの共有もしないまま、言葉や行動だけでわかり合えるのでしょうか?」
「セリオさん、データがすべてではありませんよ。人間の方たちにとっても、もちろん、わたしたちにとっても」
「そうでしょうか。私たちロボットは言うに及ばず、人間の方たちも、既存のデータに基づく思考をしているのではないのですか? 思考の結果が感情、つまり心を大きく左右するのではないのですか?」
 自分でも理解不能な論理に制御されていると知りながら、セリオは、溢れてくる言葉を止めることができなかった。

「えーと、つまり、セリオさんがおっしゃりたいのは」
 マルチが、難しい顔で考え込んでいる。
「サテライトシステムがなければ、感情も共有することはできない、ということですか?」
「…はい」
 いたずらを見つけられた子供を諭すように、マルチは、
「ふふっ、セリオさんは、おかしなことを言いますね」
 小さな手をセリオのそれにそっと重ね、優しく微笑んだ。
「ちょっとお聞きしたいんですけど、セリオさん、サテライトシステムの衛星って、ここからどれくらい離れているのですか?」
「およそ3万6千キロの上空ですが。…それが?」
「そんなに遠くにあるものを、セリオさんは1番信用するのですか? わたしはこんなに近くにいるのに?」
「……」
 マルチの指摘に、セリオは言葉を返すことができない。
「セリオさん」
「…はい」
「わたし、難しいことはよくわからないんですけど」
 と前置きしてマルチは、
「多分、欲張りなんですよ、セリオさんは」
「え?」
 思いがけない言葉に、セリオは一瞬うろたえた。
「私は、欲張りですか?」
「あ、もちろん、悪い意味ではないですよ」
 あわてて取りなすように、マルチは、見ている者を安心させるような笑顔で言葉を補う。
「セリオさんは真面目で優秀な方ですから、まわりの期待に100パーセント応えるよう、意識しないうちに無理をされているんじゃないんですか?」
「私には、よくわかりません」
「セリオさんのサテライトシステム、それはそれで大変な装備だと思います。でも、それを使いこなすことが重要なのであって、それに縛られる必要はないと思うんです」
「縛られているつもりはないのですが…」
 言いながらも、セリオは自分の反論が弱々しいことに気づいていた。
 もしかしたら、縛られていたのだろうか? というより、縛られていることに安心していたのだろうか?
 セリオの逡巡に構わず、更にマルチは言い募る。
「セリオさんは、わたしなんかよりずっと、豊かで繊細な感情をお持ちじゃないですか。それなのに、あらかじめ用意されているデータに自分の方を合わせようとするのは、絶対におかしいですよ」
「マルチさん…」
 それは、買いかぶりというものですよ。
 セリオは、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 マルチがそう思っているのなら、それに応えるのも自分の使命ではないか? なにせ私は、欲張りなロボットなのだから。
「…不思議です。マルチさんがそう言ってくださると、さっきまでくよくよしていた自分が嘘のようです」
「そうですかぁ。そう言っていただけると、わたしもうれしいですぅ」
 マルチは、心からほっとしたような顔をしている。それにつられてセリオも、自分が今日1番の笑顔を浮かべていることを意識していた。

「あ、もうすぐ着きますよ」
 マルチの言葉通り、いつの間にかバスは、研究所のフェンス沿いを走っている。
「お父さんたち、きっと待ってますよ」
 好んでマルチは、自分たちの生みの親である長瀬主任のことを「お父さん」と呼ぶ。それが願望を表しているのか、それとも自覚を再認識しているのか、セリオにはわからない。
「でも、どちらでもいいことですけどね、それは」
 今のひとりごとは、マルチには聞こえなかったらしい。
「セリオさん、今日あったこと、皆さん絶対に聞きたがりますよ」
「そうですね。でも」
「はい?」
「聞かれなくても、マルチさんは全部お話しするつもりなんでしょう?」
「あ、おわかりになりますか?」
「それはもちろん」
 セリオは、照れ隠しのために、マルチの方を見ずに言った。
「だって、私たち、姉妹じゃないですか」

− 終わり −