「Present for You」
(Episode:来栖川 綾香(ToHeart)/投稿作品/投稿者:Nyawanさん)


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 BGMが心地よく流れる店内は、適度に混み合っている。
 テーブルの上のコーヒーカップは、シンプルだけど、それがかえってこの店には似合っている。
 オレひとりのときはもちろん、あかりや志保がいっしょだとしても、こういう喫茶店にはまず入らない。
 でも、今日は違う。今日は――綾香とオレの特別な日だから。

− 1 −

「で、プレゼント、決まったのか? 何でも欲しいモノ言えよ。って言っても、常識的な範囲内だけどな」
「うん、ありがと。だけど、いきなりそんなこと言われるなんて、考えてなかったから」
「遠慮するなよ。何せ、今年はお年玉が大漁だったからな」
 これはウソだ。お年玉は去年と大して変わらない。
 今オレのフトコロがあったかいのは、年末年始のバイトのおかげだが、バイトしてたことは綾香にはないしょだ。
 こいつは、お嬢様だからわがままに見られがちだけど、実はさりげなく気を使うヤツだ。プレゼントやその他もろもろのためにオレがバイトしてたなんて知ったら、変に遠慮するだろう。

 綾香は、軽くあたりを見まわすと、コーヒーをひとくち飲んで、
「お店の雰囲気もいいけど、コーヒーもなかなかよね。浩之、よくこんな店知ってたわね」
「まあな。オレだってたまには、うまいコーヒー飲みたいこともあるさ」
 すました顔でオレが言うと、綾香はちょっと目を細めて笑った。
 …しっかりバレてるようだな、オレが持てる人脈を最大限に駆使して、果てはセリオのサテライトサービスまでムリ言って利用して、『デートにはもってこいの喫茶店』探したこと…。
 いつもなら、たとえとびっきりのお嬢様である綾香が相手でも、ここまで気は使わない。
 第一、お嬢様なのに気楽に付き合えるってところが、こいつの長所のひとつでもある。
 だが今日は、オレ達が出会ってから初めての、綾香の誕生日なのだ。
 当然オレとしては、オレができる精一杯のやり方で、綾香と今日1日を過ごしたい。
 デートコースもかなり考えて決めた。
 プレゼントは、前もって買っておこうかとも思ったが、オレのセンスは当てにならないので、綾香が欲しいモノをこれから2人で買いに行くつもりだ。

 しかし。
 この間から気になってることがひとつ。
「なあ」
「……」
「綾香」
「……」
「もしもーし、綾香さーん?」
「…え、あ、何? ごめん、聞いてなかった」
 またこれだ。
 このところしばらく、綾香がおかしい。
 話してても時々、心ここにあらずというか、反応が鈍くなるのだ。
 2人でいても、かすかにため息ついたりとか、どこか遠くを見てるような目になったりとか。
 これが芹香センパイならいつものことだが、普段はテンションが高いはずの綾香がこういう反応を見せるのは、やっぱり異常だ。
 何か悩みでもあるのか?
 オレは、のどまで出掛かった言葉を飲みこむ。
 ここでオレが聞いて話してくれるくらいなら、先に綾香の方から相談してくるはずだ。
 大体こいつは、他人の心に土足で踏み込むような真似は、するのもされるのも大嫌いだ。
 何が原因かは知らない。悩んでるのかどうかもわからない。
 けどオレは、綾香が自分から話す気になるまで待つしかないんだろう。
 …ちょっと寂しいけど、仕方ないか。 

 オレはカップの中身を飲み干すと、綾香に言った。
「んじゃ、そろそろ…」
 行くか、と言い掛けて、そこで奇妙な電子音に気がついた。
「あ、私のだ」
 そう言うと綾香は、ガサゴソと自分のカバンから携帯を取り出し、
「ごめん、ちょっと」
 と、オレをすまなそうに見て、席を立った。
 電話、か。
 そこでふと思う。
 綾香、オレといるときはいつも、携帯の電源切ってたはずなのに。
『せっかくの浩之との2人の時間、邪魔されたくないもんね』
 とか言って、オレはメチャクチャ照れたのを覚えてる。
 なんで、今日はよりによって?
 それとも、綾香にとってはどうでもいい1日なのか?
 そうこうするうちに、電話を終えたらしい綾香が戻ってきた。
 心なしか、表情が険しい。
「ごめん、浩之」
「いや、別に…。じゃあ、出るか」
「違うの、ホント悪いんだけど、私ちょっと用事ができちゃって」
「へ?」
 一瞬、オレの頭の中が真っ白になった。
「どうしても外せない用なの」
「あ?」
 まともな反応ができないオレを尻目に、綾香はコートとカバンを持って既に出口に向かっている。
 外に出る直前に振りかえり、何かに耐えるような顔でオレを見つめ、
「本当にごめんなさい。この埋め合わせは、必ずするから」
「え?」
 ようやくそこでオレは慌てて立ち上がったが、ドアは間の抜けた音を立てて閉まったあとだった。
 静寂。
 ゆっくりと思考力が戻ってくる。
 な、何だったんだ、今のは。
 オレ、たった今まで、綾香といっしょにいたよな。
 悪い夢でも見てたのか?
 今日は綾香の誕生日で、これからオレ達いっしょに1日過ごすはず、だったよな?
 それが…どうして?

 不思議と怒りは沸いてこない。
 オレは、ウェイトレスのお姉さんが恐る恐る声をかけてくるまで、その場に立ちつくしたままだった。

− 2 −

 どうやって家に帰ってきたのか、あまり覚えていない。
 気がつくと、上着も脱がず、自分の部屋でベッドの上に寝転がっていた。
 そのまましばらくぼんやりしていた。時間の感覚もマヒしている。
 そのうち腹も減ってきたが、何もする気がおきない。 
「ホントなら今ごろは…」
 プレゼント選んだり、おしゃれなレストランで食事したり、ほかもいろいろと計画してたんだけどなあ。
 それにしても、綾香があんな態度取るなんて、ちょっと考えられない。
 強引なところは確かにある。けど、人の気持ちを無視するようなヤツじゃないはずだ。
 このところ様子がおかしかったことと、関係あるのか?
 …それとも、単にオレの気持ちが迷惑だったとか?
 あーあ、ひとりで考えてても、思考がネガティブな方向に行くばっかりだし。
「もう寝ちまうか」
 のろのろと起き上がると、オレは窓の外に目をやった。
 いつの間にかもうすっかり暗くなっている。
「うぅっ、さむ…」
 今ごろ気づく。エアコンもついてないし、そういえば天気予報によれば、この冬1番の冷え込みだとか。
 ははっ、オレのハートと同じじゃねーか、なんてな。
 と、そのとき。
  プルルル… プルルル… プルルル… プルルル…
 電話が鳴ってる。
 …もしかして、綾香か?
 いや、違うな。
 今日はもう、綾香からはかけてこないだろう。
 オレもなんとなくしゃべりづらいし。
  プルルル… プルルル… プルルル… プルルル…
 綾香とだけじゃない、今は誰とも話したくない。
 悪いけど無視させてもらおう。
  プルルル… プルルル… プルルル… プルルル…
 ってことで、オレは留守です。速やかに受話器を下ろしてください。
  プルルル… プルルル… プルルル… プルルル…
  プルルル… プルルル… プルルル… プルルル…
 …ああ、もう! 誰だ、あきらめの悪いヤツは!

 仕方なくオレは、電話に向かった。
 しかし、家にはほとんどオレしかいないのに、なんで電話は玄関にあるんだ?
 どっちにしろ、くだらねえ用だったらタダじゃおかねぇぞ。
「はいっ、もしもしっ!?」
 オレの剣幕に驚いたのか、受話器の向こうではかすかに息を飲む気配があった。
 そして、
「ごめん、寝てた?」
「…綾香?」
 思いがけない相手に、こっちの反応も一瞬遅れた。
「もしかして、今、迷惑だった?」
「…いや、そんなことはねえけど…」
 オレの返事は、限りなく歯切れが悪い。
「…それより、なんだ?」
「今日はホントにごめん。反省してる。浩之、怒ってる?」
「別に…」
 またもや曖昧な返事をしそうになる。
 ちょっと待て。
 オレは自分の頭の中を整理してみた。
 別にオレは、怒ってるワケじゃない。
 いきなり帰られちまったのは悲しいが、ちゃんと綾香は謝ってるし、それ以前に何か重大な理由があるはずだ。
 それに、綾香の方から電話をかけてきたってことは、少なくともその理由くらいは話す気があるってことだろ?
 深呼吸をひとつ。ダメならダメでいい。
 ここは、自分の気持ちをぶつけてみることにしよう。
「なあ、今、家にいるのか? これから会えねえか?」
「え?」
「オレ、会いたいんだ、綾香に。どうしても」
「奇遇ねえ、私も同じ」
「何が?」
「私も会いたい。どうしても。会って、浩之の顔見て話したい。浩之に全部聞いてほしい。今すぐ」
 受話器越しなのに、オレは綾香の熱い吐息を感じたような気がした。
「私、浩之の家の近くまで来てるの。だからもう少し…」
「オレ、そっちへ行くよ。近くってどこだ? 公園か?」
 綾香のセリフをさえぎって、オレは問い掛けた。
 これ以上待ってなんかいられない、こっちから会いに行ってやる。
「公園でいいんだな? すぐ行くから待ってろよ」
 それだけ言うと、綾香の返事も聞かずに受話器をたたきつけ、オレは慌てて家を飛び出した。

− 3 −

 オレは今までの新記録を更新して、夜の公園に滑り込んだ。
 少し離れたところに、見なれた後姿が見える。
 と、オレが近づく気配を感じたのか、ゆっくりと綾香はこちらを振り向く。
 そして――鮮やかな笑顔を見せた。

「来てくれて、ありがと」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ。言ってくれりゃ、どこでも迎えに行ったのに」
「へぇー、優しいんだ」
「ま、相手にもよるけどな」
「調子いいんだから」
 そこで綾香は真顔になり、
「今日はホントにごめんなさい。せっかく私の誕生日祝ってくれようとしたのに」
「すんだことはもういいさ。…それより、理由くらい聞かせてくれるんだろ?」
「うん。そのために私も浩之に会いたかったの」

 立ち話もなんだから、オレ達は近くのベンチに寄り添って座る。
 そして、綾香は話し始めた。
「うちの姉さんのことなんだけど。ほら、もうすぐ卒業でしょ」
「ああ、確か大学は、もう推薦入学が決まってるんだろ?」
「そうなんだけど、実はおじい様がちょっと納得してなくて」
「どういうふうに?」
「今の高校、寺女みたいなお嬢様学校ってワケじゃなかったでしょ。まあ、そのおかげで浩之やあかりさん達ともお友達になれたんだけど。で、おじい様は、そのあたりが気に入らないのよ」
「気に入らないって、来栖川のお嬢様に、オレ達みたいな一般庶民がお近づきになるのが、か?」
「そういうこと。大学だって、いまどきの日本じゃどこも似たようなものだし。だからこの際、将来の勉強も兼ねて、海外に留学させるって言い出しちゃって」
「海外って…センパイ、外国行っちまうのか!?」
 オレは思わず大声を出していた。
「ちょっと浩之、落ち着いてよ」
「落ち着いてられっかよ。綾香、おまえは平気なのかよ? センパイが遠くに行っちまっても」
「平気なわけないでしょ。もちろん姉さん自身も嫌がってるわ」
「じゃ、じいさんにそう言やぁいいじゃねえか」
「姉さんがそんなこと、おじい様に言えるわけないじゃない。かといって、私が言っても聞く耳持たないし」
 うーん、さすがの綾香の攻撃も、日本経済界のドンには効果なしか。
「ってワケで、この間からずっと揉めてたのよねー」
 あ、もしかして。
「そのせいか? おまえこの間っからずっと変だっただろ」
「あ、バレてた?」
「バレてた、じゃねえよ。オレ、ずっと心配してたんだぞ」
「何だ、心配してくれてたのー? ぜんぜん知らなかった」
「ったくおまえは…」
 …なんか、こうあっけらかんと言われると、心配したのがすげぇバカらしく思えてくる。
「…ウソよ」
「あん?」
「だから、ウソ。浩之が心配してくれてたの、ちゃんとわかってたわ」
「…だったら…」
「でも、これは来栖川家の問題でしょ。下手に浩之を巻き込んで、おじい様に目をつけられたらタダじゃすまないわよ」
「……」
 怖いこと言うヤツだな。
「ま、しょうがねぇか。オレがいたって、何の頼りにもならねぇからな」
 すると綾香は不思議そうな顔をして、
「私、浩之のこと、頼り甲斐がないだなんて、今まで思ったことないわよ?」
 うっ。
 それって、マジで言ってんのか?
 ちょっと…照れるじゃねえか。
 …話を変えよう。
「それで? センパイはどうなっちまうんだよ?」
「そうそう、それが今日のことなのよ」
 
 綾香は話を続けた。
「おじい様が懇意にしてる人を通じて、アメリカのどこかの、かなりおカタい大学の学長、紹介してもらったんだって。でね、その人が今日、うちの姉さんに会いにはるばる来たのよ」
 へぇ、来栖川家ともなるとスケールが違うな。
「もし今日、その学長サンとやらに姉さんが気に入られちゃったら、留学話にますます拍車がかかるし。そこでこの綾香さんが、一計を案じたってワケ」
 …ちょっと待て。なんかイヤな予感がするのは気のせいか?
「家を出るときは、おじい様と姉さん、いっしょだったんだけど。姉さんとその学長サンが会うのは、面接試験も兼ねてるから、個室で1対1になるのよね」
 もういい。皆まで言うな。
「だからその前に姉さんと私、ちょっと入れ替ったのよ」
 …そんなこったろうと思ったよ…。
「向こうは私のこと、清楚な大和撫子だと思ってるからおかしくって。ニューヨーク時代に覚えたスラング、山ほど披露してあげたし、ついでに、エクストリームの模範演技も、ごく間近で見せてあげたし」
 学長サン、猛獣と同じ檻に入れられたほうが、まだマシだったかもな。
「最後は、目を白黒させて個室から飛び出して行っちゃったけど。あ、関係ないけど、外人サンの場合にも『目を白黒させる』って表現でいいのかしら?」
「…オレが知るかよ」
 まったく、あきれたヤツだぜ。
「で、学長サン、じいさんには何か言ったのか?」
「うん、すごい勢いで英語まくしたてて帰ったけど、あれはちょっとおじい様には理解できないかもね」
「ふぅん」
「今日の時点では、留学の話は白紙に戻ったんじゃないかしら」
「なら、ひと安心だな。けど、入れ替わったこと、じいさんにはバレてねえのか?」
「うーん、今のところは。でも、時間の問題かも」
「じゃあおまえ、じいさんに叱られるんじゃねえか?」
「多分そうなるでしょ」
 平然と綾香は言い放つ。
「大丈夫かぁ? 勘当とかされちまったりして」
「そうなったら、浩之のところでお世話になるから、覚悟しておいてね」
「はいはい、地獄の底まで付き合わさせていただきます」
 そう言って、オレ達はお互い顔を見合わせて吹き出した。

「あ」
 大事なことを思い出した。
「どうしたの?」
「プレゼント。今日買いに行こうと思ってたのに。もうムリかな?」
 腕時計を覗く。時間的に、もう完全にアウトだ。
「いいじゃないの。またいつでも買いに行けるんだから」
「おまえがそう言うなら、オレはいいんだけどさ」
「それに」
「あん?」
「わかってると思うけど」
 そう言って綾香は、オレの肩に顔を持たせかける。
 コート越しの胸のふくらみが、オレの二の腕あたりに感じられる。
 そして、オレの耳元で囁くように、
「わたしが浩之から1番欲しいモノ、今までもいっぱい貰ってるわ」
「……」
 綾香の言葉は、ゆっくりとしみわたるように、オレの全身を暖かくしてくれた。
「もちろん、これからもずっと、貰うつもりだけど」
「お安い御用だ」
「ふふっ、ありがと」

 その時、かすかに白いモノがオレの視界をかすめた。
 雪だ。
「綾香」
「ん?」
「見てみろよ」
「あ」
 その間にも、雪は少しずつその降る量を増やしていく。
「うわぁ、きれい」
 綾香は立ちあがって3歩ほど前に出て、まるで小さな子供のように手を伸ばした。
 常夜灯に反射して、雪は宝石のように輝く。
「寒くないか?」
「うん、大丈夫」
「冷えると思ったら、とうとう降ってきやがったな」
「あと1ヵ月早かったら、ホワイトクリスマスになったのにね」
「クリスマスに雪があろうがあるまいが、関係ねぇんじゃねえか?」
「もう、ロマンティストじゃないんだから」
「綾香がいるだけで、十分ロマンティックだよ」
 オレは、わざと聞こえないように、そっとつぶやいた。

「え? 何か言った?」
「なんでもねえよ」
「ねぇ、なんて言ったのよぅ」
 綾香は、オレの顔を覗きこむように近づいてくる。
「来年も、誕生日いっしょにいようって言ったんだよ」
「来年だけ?」
「え?」
「私、毎年浩之といっしょに誕生日迎えるつもりだけど」
 こいつ、うれしいことを言ってくれるぜ。
「おう、オレもそのつもりだぞ」
 いたずらっぽい目をして微笑むと、綾香は、座ったままのオレの頭を包み込むように抱いてくれた。

<Fin>