ナイ君の乗っていた飛行機って、一体何でしょう?
(書いた日:2000年10月24日、追加:2001年02月24日))
ははは・・・この考察はすっかり出遅れちゃいましたね〜(苦笑)。
実のところ、最初これの答えが見つからずに、仕方なく回答を保留してたんですよ。
でも大方のヨコハマファンで飛行機ファンやってる人達は、ひと目で解ったみたい。私は飛行機は割と専門外なんでよく知らなかったんですが。
さて、では早速回答から。
ナイ君が乗っていた飛行機、これはノースアメリカン社と言うアメリカの会社が第2次世界大戦中に作った練習機、「SJN−4 テキサン」と言う飛行機です。
練習機ですが設計や性能がすばらしく、いわゆる「傑作機」として名を馳せています。
では、ちょっと見方を変えて、日本で活躍した彼らの歴史をちょっと追って見る事にしましょう。
日本では、彼らは「T−6 レシプロ練習機」と言う名称で呼ばれていました。
なお、作中に出て来た「全面黄色い塗装」と言うのは、航空自衛隊で使用されていた際の塗装のようです(下の写真参照)。
T−6 レシプロ練習機 (昭和30〜45年在籍、データはT−6G) |
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乗 員 | 2人 |
主要寸法 | 8.8 x 12.7 x 3.3m |
全備重量 | 2550kg |
最大速度 | 341km/h |
航続距離 | 1390km |
エンジン | P&W R−1340−A−1 x 1機 |
出 力 | 600hp |
・機種の説明。
世界で最も成功した練習機と言われるT−6は17096機が生産され、ノースアメリカン社のP−51ムスタングやB−25ミッチェルと共に同社の傑作機となりました。
強力な600馬力のプラット&ホイットニーR−1340空冷星型9気筒エンジンを搭載し、高等・中等練習機以外に軽攻撃にも使用出来て、約40ヶ国でT−6やその改造型が使用されました。
日本では米軍からの供与により、保安隊時代の松島基地で使用されたのが初めてで、その直後、航空自衛隊が発足したに伴い、全て空自に移管されます。
保安隊と航空自衛隊で使用された機種は、T−6Dを9機、T−6Fを9機、T−6G
が149機でした。
国産のジェット練習機T−1が導入され、T−6は昭和39年に練習機としての任務を終了しますが、その後、翼下に救難ポッドやSARAHアンテナを装備した、捜索救難機や連絡機として24機を使用する事になり、昭和45年まで使用されました。
・歴史を紐解くと。
昭和29年6月1日、保安隊は松島基地で臨時松島派遣隊を結成し、米軍パイロットの元で第1期操縦学生35名に航空機搭乗訓練を米軍供与のT−6で開始しますが、7月1日に発足した航空自衛隊にそのまま移管されます。
移管直後にはT−6の垂直尾翼に「J.S.AIR.FORCE」と記入されていたそうです。
昭和30年11月1日には、浜松の操縦学校を第1操縦学校と改称して、松島基地のT−6による保安隊から続いた臨時松島派遣隊は第2操縦学校と改称します。
そして、昭和39年までは高等技術や高度な計器飛行、夜間飛行訓練をT−6で行うと言う訓練形態が取られていきました。
・悲しい歴史。
昭和32年12月26日、山口県岩国沖の海上で、第2操縦学校のT−6FとT−6Gが航法訓練中に空中衝突、墜落して搭乗していた学生が2名死亡。航空学生最初の死亡事故となってしまいました。
と言うような、航空自衛隊でのT−6の歴史でした。
・現代で活躍するT−6・テキサン
さて、では現代に活躍する「T−6」「テキサン」の方ですが。
実は私、去年(1999年)の9月6日に、これの実物を見ておりました。しかも、実際に飛んでいる所を。
これは、1999年9月6日に札幌丘珠空港で行われた、「第21回丘珠航空ページェント」でのひとコマ。
これは、「レッドバロン」と言うエアショーチームが所有している機体です。
当日はやや雲があるもののほぼ快晴という中、このテキサンも元気に飛び回っていました。
なお、この機体は、いわゆる「ネイビーカラー」に塗装されていました。まあ確かにショートしてはその方が見栄えがしますけど(笑)。
地上展示をしていた所を、近くから。
参考リンク:「レッドバロン公式サイト」
・現代に眠るT−6・テキサン1
では逆に、その役目を終えて、静かに眠っているテキサンは・・・と、Web上をちらっと探して見ますと、ありました。
奈良高専は、その校庭にテキサンが置いて有るそうです。
何でも、一時期は機体の腐食が激しく、廃棄処分一歩手前まで行ったそうですが、1987年に当時の学生が中心となってテキサン修復の為の委員会が発足。2年がかりで修理を行ったそうです。
参考リンク:「我が母校(1998/7/4:4 of 4)」
・現代に眠るT−6・テキサン2
以前、仕事の関係で東千歳駐屯地に出張した際、試作装備品とか廃止になった装備を展示して居る所が駐屯地の奥の方にありまして。
で、そこでT−6を見たような記憶がありまして。
2001年の2月に入ってから、東千歳に出張する機会がありまして、確認に行った所、やはりそこにはテキサンが置いて有りました。
機体があまりにも大きいからか、他の展示品が雪避けにシートをかぶせてあったのですが、テキサンとあと数点の展示品はシートをかぶせてありませんでした。
同じ機体を、横から。
向こうに尾翼だけ見えて居るのは、T−34です。
以上、相変わらず趣味入った思考でしたが(笑)、いかがでしょう?
また情報が入り次第、追加していきます。