第46話の「A2M1〜M4」って、どんな戦闘機?
(書いた日:1998/04/25)
アフタヌーン6月号で、ココネが偶然探し当てた「A−2」と言うタイトルの、恐らくはアルファさんやココネ達「アルファ型ロボット」のご先祖様の事であろう資料。
前回、「A7M1〜M3」は「旧海軍の戦闘機の型番」と言う事が解りましたから、多分今回もその系統でしょうと言う想像は付きます。もっともこれ、かなり深読みに入っちゃっているかも知れませんけどね。
では本題。「A2M1〜M4」って、どんな戦闘機?
手元にある資料によれば、「A2」型が旧海軍戦闘機として登場するのは昭和7年(1932年)の事。実に66年も前の前のお話しです。
当時、主力の機体は「三式艦上戦闘機(A1N1〜N2)」と呼ばれる物で、「N」と言う会社名記号が示すとおり、中島飛行機が他の会社と競り勝った機体が使われておりました。
なお、当時はまだ複葉機の時代。しかも、日本ではまだ国産機は開発されておらず、「A1」もイギリス・グロスター社の「ゲームコック」と言う陸上機を改造して艦上機としたものでした。
で、その後継機種を中島は独自開発。そして出来て来た機体が、中島の会社内部で開発呼称「NY海軍戦闘機」と呼ばれていたこの機体の試作機でした。
と言っても、機体の設計はアメリカのボーイング社製戦闘機、イギリスのブルドック戦闘機を参考にして作られていたため、純国産とは言えませんでしたが、それでも外国のメーカーの手に寄らず、日本国内で生産されたと言う意味では大きい前進でした。
さて、そんな「A2」ですが、出始めはやはり難産でした。
当初、中島は「A2」に「A1」シリーズで使用されたジュピターエンジン(450馬力)を使用して海軍の審査を受けましたが、当時使われていた「A1N2」と大差無い性能だったために採用されませんでした。
そこで、中島はジュピターエンジンを参考に作った初の国産エンジン「寿」(460馬力)を搭載して再び審査を受けた所、「A1」はもとより当時の外国製戦闘機をも大きく上まわる運動性能を発揮したため、「九〇式艦上戦闘機」として制式採用されました。
それが昭和7年で、以後昭和12年までに約40機が生産、また、佐世保海軍工廠でも生産され、さらには複座に改造された九〇式練習戦闘機(A3N1)が昭和11年から14年までに66機生産されました。
ところで。この「九〇式艦上戦闘機」、中島飛行機が制作したと言う事で、当然ながら型番は「A2N1−1〜1−3」と言う型番がつけられておりまして。
だから、残念な事に46話で出て来たような「A2M1〜M4」と言う戦闘機は実在しません。
恐らくこれは、「A7M1〜M3」の語呂に合わせようと言う事で芦奈野先生がつけた型番だと思います。
だから、「A2」と「戦闘機の型番」は符合しない、と考えたほうが無難かもしれませんね。
最後に、参考資料として「A2」の性能データを掲載しておきます。
「九〇式艦上戦闘機1型」(A2N1−1) | (A2N1−3) | |
設計・制作 | 中島飛行機 | (左に同じ) |
乗員 | 1名 | (左に同じ) |
全長・全幅 | 6.183*9.4メートル | 6.18*9.37メートル |
全高 | (資料無し) | 3.03メートル |
発動機 | 中島「寿」2型改空冷460馬力1基 | (左に同じ) |
自重 | 1045キログラム | (左に同じ) |
最大速度 | 時速287キロメートル | 時速293キロメートル |
航続力 | 500キロメートル/3時間 | (左に同じ) |
上昇限度 | 9000メートル | (左に同じ) |
武装 | 7.7ミリ機銃2挺、爆弾60キロ | 7.7ミリ機銃2挺、爆弾30キロ*2 |
生産機数 | 各型合計100機以上 | (左に同じ) |