「A7M1」「A7M2」「A7M3」って、一体なんの記号?
(書いた日:1998/03/16)


 作中で、アルファさん達に代表される「アルファ型ロボット」には、「A7M?型機」と言う、実にロボットらしい名前が付いております。
 まあ、アルファさん自信忘れているくらいですから、どうでもいいような名前だと思うのですけど(笑)。

 さて、その「A7M?」と言う型番。これって一体何の記号なんでしょう?

 カフェテラス辺りでも何度か話題に上がりましたし、「ヨコハマの住人」さんが答えを知っていますが、正解は「第2次世界大戦中に開発された海軍航空機の型番」ですね。
 では、その辺の詳しいお話しを少し掘り下げてみましょう。

 第2次世界大戦が始まる前、1935年から旧帝国海軍はそれまで数字と呼称のみだった海軍航空機の分類に加え、アルファベットと数字の組み合わせにより機種と設計会社を現すという独特の方法を採用するようになりました。
 「一文字目のアルファベットで機種、二文字目でその機種の何番目に計画・試作された機体かを示す数字、三文字目のアルファベットで設計会社を示し、4文字目の数字がモデルチェンジ番号を示す」と言う方法です。
 また、モデルチェンジにしてもマイナーチェンジ等ではさらに派生した枝番号やアルファベットをつける等の表記の仕方をしていたようです。
 参考までに、アルファベットの対応表を下に書き記しておきます。

1文字目のアルファベット 機種
艦上戦闘機
艦上攻撃機
艦上/陸上偵察機
(後に陸上偵察機は「R」に変更)
艦上爆撃機
水上偵察機
観測機
陸上攻撃機
飛行艇
局地戦闘機
練習機
輸送機
特種攻撃機
水上戦闘機
陸上爆撃機
哨戒機
陸上偵察機
夜間戦闘機
MX 特殊機
3文字目のアルファベット 設計会社
愛知時計電機
(愛知航空機)
広海軍工廠
川西航空機
三菱重工業
(三菱内燃機製造、三菱航空機)
中島飛行機
渡辺鉄工所
(九州飛行機)
横須賀海軍工廠
(後の海軍航空廠、海軍航空技術廠)

 とまあ、これが全てではありませんが私の手元にある資料ではこれが精一杯。
 で、これを利用してどんな航空機がどのような物かを簡単に知ることができる訳です。
 たとえば、あまりにも有名な「零戦」。正式名称は「零式艦上戦闘機」と言うのですが、これの記号は「A6M1」から「A6M8」まで。実に8回ものマイナーチェンジをしたことになります。


 さて、では本題(実は今までのはあくまで前振り(笑))。
 「A7M1」〜「A7M3」と言うのは?

 零戦の後継機種を海軍は三菱に発注しました。これを受けて三菱が昭和17年(1942年)より開発を始めたのが「A7M1”烈風”」と言う戦闘機です。
 正式名称は「十七試艦戦『烈風』」。
 ただし、この機体、計画当初からかなり難産な機体だったようです。
 搭載するエンジンを三菱が独自開発したエンジンにするか、中島が新開発した「誉」にするかと言う論争で四ヶ月を費やします。その後、海軍の強い希望で「誉」にする事で決定した後も、設計陣の人手不足と工場の多忙ではかどりませんでした。
 ようやく一号機(A7M1)が昭和19年4月に完成しましたが、「誉」エンジンは実際に使ってみると初期の性能を発揮出来ず、実用性・信頼性に欠けるエンジンだった為に試験飛行の際に出力不足に陥り、性能は全く期待外れの物となってしまいました。
 エンジンの不調に明らかな原因があるにもかかわらず海軍はそれを認めようとはせず、開発は一旦中止されます。
 しかし、三菱側の強い希望により、六号機(A7M2)に三菱の自社製エンジンを搭載して試作が続けられることになりました。
 ところが、エンジンを換装した六号機は見違えるような性能を発揮した為、ただちに量産が命じられましたが、生産機が完成する直前に終戦となりました。
 結果、完成したのは試作機8機のみと言う事になり、海軍の判断ミスによる「烈風」開発遅延は致命的なものとなってしまいました。

 と言う事で、「烈風」と言う戦闘機の型番が、アルファさん達につけられた番号と同じと言うのは、芦奈野先生、何か思う所でもあったのでしょうか?

 最後に、その「烈風」の写真と性能諸元を掲載しておきます。

烈風

「烈風」11型(A7M2)
設計・制作 三菱重工業
乗員 1名
全長・全幅 10.984*14メートル
全高 4.28メートル
発動機 三菱ハ−43−11空冷2200馬力1基
自重 3266キログラム
最大速度 時速627.8キロメートル
航続力 417キロメートル/2.6時間
プラス全力30分
上昇限度 10900メートル
武装 13ミリ機銃2挺、20ミリ機銃2挺、爆弾120キロ
(20ミリ機銃4挺と言う説もある)
生産機数 試作8機