・「アルファさんの日記帳」 2000年09月分・
フクシマ買い出し紀行 投稿者:psytou 投稿日:09月30日(土)15時22分54秒
いったん親元を離れないと、わからないことってありますね。 はじめての「帰省」というものを経験して、よくわかりました。 家事を自分でするか、誰かがやってくれるかって、大きいです。 実家のメシはこんなにも美味かったのかと、実感しました。 きっと、一人暮らししてなかったら、わかんなかったんだろうなぁ。 これから、また一人暮らしです。 晩御飯は何にしようかな・・・
金木犀の香る夕方 投稿者:紋次郎 投稿日:09月28日(木)20時51分01秒
日が暮れて家路を急ぐ頃、 微かな一筋の香りを訪ねる。 久し振りに、そして、懐かしい。 これは金木犀だ。 ああ、もう、秋なんですね。
ボランティアに行ったこと 投稿者:らら々 投稿日:09月24日(日)02時09分29秒
理由はどうであれ、ボランティアに1日行ってきた。 集まった人数は、思ったよりも沢山。(数百人) 作業は物を運んだり洗ったりで数十分で終わる。 でもたくさんの人を運ぶ手段がないので、目的地まで延々歩き。 結局その日は7人がかりで3件しかできなかった。 そんな感じだから、たった一晩の災害でも、復旧まで何ヶ月もかかる。 だけどそういう人たちがいるからこそ、復旧ができる…
秋の夜長 投稿者: caffe フクロウ 投稿日:09月12日(火)12時58分30秒
夜中にコンビニに行くのにTシャツ一枚では肌寒くなってきました。 いよいよ秋。秋の夜長に本を読んだり、取り溜めしておいたドラマの ビデオを見たり、手酌で一杯やってみたり(私だけ?)、、、。 などと、今から秋の夜長が楽しみです。
時と季節と追憶 投稿者:紋次郎 投稿日:09月11日(月)21時19分06秒
最近、日が短くなるのを感じている。 幼い頃から散々感じてきた事なのに、人恋しくなるのは何故だろう。 少しずつ、誰しも大人になっていく。 それは嬉しい事であると共に、二度と帰れないという事だ。 それが、分かり始めてきたからかもしれない。 人は、誰しも帰りたがる 心が帰るべき場所へ
今日は眠れなくて。 投稿者:とっぽ 投稿日:09月11日(月)08時39分41秒
今日は,深く眠ることが出来ませんでした。 理由は不明です。いや,やっぱりある。 それは,風邪を引きそうなのだ。 体の節々がなんか,あったかくて,ぎこちない。意識はもうろう。 今日の朝は,雨が降ってました。外に出ると,なまら寒くて, 秋がきたんだなって感じた。 ちょっと,歌います。 ”君がいた夏は 遠い夢のなかーあ.” 夏は,いきなり去っていく。
移ろい 投稿者:大豆 投稿日:09月11日(月)01時02分02秒
八月半ばに歩いた三浦の畠では、すでに西瓜の収穫も終わり。 今月初めに訪れた銚子では、地元産に代わり山形の西瓜が売られていた。 そして昨日。東京で青森産の西瓜を見かけた。 秋祭りの接待処では、西瓜と梨が束の間の同居中。 やがて静かに交代するのだろう。
記憶 投稿者:明暗 投稿日:09月11日(月)00時37分16秒
空って、もっと空色だった気がする。 山はもっと山色で、ワイシャツだってもっと白くて。 海も、もっと海色だったはずだ。 いつの頃からか、夏が来るたびそう思うようになった。 見たことはあるはずで、でも見た記憶はあやふやで。 どこで見たのか、いつ見たのか。 そのかけらはどこにでもあるのに、 やはり今日もわからなかった。
晩夏 投稿者:MAK 投稿日:09月07日(木)01時02分33秒
9月になるというのに真夏並みの酷暑の日。 久里浜の煙突の見える三浦海岸は、猛暑にもかかわらず人はまばら。 9月にもなれば、海水浴に行こうと考える人はあまりいない。 歩き疲れて海岸に腰掛けていると、そこからはある種独特の侘しさが 伝わってきた。 夏の終わりを名残惜しむように海を見る人 夏に終わりなどないと言いたげに波打ち際ではしゃぐ人 「また来年」という顔つきで海の家を解体する人 気温こそ真夏並だけど、そこに広がる光景は、季節の移り変わりを 確かに表していた。 冬の海とも違う、独特の雰囲気漂う晩夏の海。 数日後、夜風は秋の涼しさに変わっていた。
オリンピック 投稿者:とっぽ 投稿日:09月06日(水)11時05分09秒
・・オリンピック シーズン到来・・ BSデジタル放送のテレビが脚光を浴びています。 テレビでもネットでも,世界を身近に感じることが出来るようになった。 日本にいても,選手とリアルタイムで時間を共有できるようになった. 言葉は,言霊.僕らの応援の声も選手の力の一部になれるんでしょうか。。
最近強く信じるようになったモノ。 投稿者:Holmes金谷@仕事中 投稿日:09月05日(火)12時09分15秒
『言葉は言霊 口は災いの元』 つい最近、ふとしたきっかけで、この言葉を以前よりも強く信じるようになった。 知り合いと一緒に、河川敷をチャリンコで走って居た。 その時は風がほとんど無く、実に気分良く走って居たのだけど。 知り合いが、ぼそっと一言。 「帰り、いきなり向かい風とかになってたら笑っちゃうな」 私は笑って、 「風も無いし、いきなりそんな事になる事は無いんじゃないの?」 と軽く返した。 ところがその帰り道。 あれだけ吹いて居なかった風が急に吹き出して。 しかも向かい風、時には走るのすら難しいくらいの強い風。 単なる偶然かもしれないけど、でも偶然の一言で片づけるにはあまりにも良すぎる タイミング。 とある人との会話で、 「言葉ってのは、その人の運気を左右する事もあるから、迂闊な事は言わない方が 良いよ」 と忠告された事を思い出して。 それから、私は以前よりも強く、『言葉は言霊 口は災いの元』と言う言葉を信ずる ようになった。 まあ、文章書きなんて言う趣味を持って居るから、余計、かな?
ノート 投稿者:ちひろ 投稿日:09月05日(火)10時57分49秒
出かけるとき、鞄に必ず入れるものがあります。 出先が、近場でも遠くでも、 日程が、日帰りの時も泊まりの時も、 用事が、仕事の場合も遊びの場合も、 必ず鞄に入れるものがあります。 それは1冊のノート。 ときどきで、A4だったりA5だったりするそれは、 メーカーがKOKUYOのことが多い。 なぜだかわからないけど。 このノート、ちょっと浮かんだ文章を書き残したり、 ちょっと長めのお話を、空いた時間に書くのに便利なんです。 風が秋色にかわった昨日も、 帰りのバス停でバスが来るまでの間、 ノートを出して書いていました。 今日の風を元にしたお話を。 そのうちホームページにアップしようかと思います。 金谷さんなら、気付くんじゃないかな? 身体の一部になりつつあるノート。 もう何冊目かわからないけど、でも、必ず鞄に居るノート。 とっぽさんの投稿を読んで、 「ああ、そういえば」と思い出して書きました。
電話 投稿者:紋次郎 投稿日:09月04日(月)14時16分35秒
一昨日掛けた電話が、今日、ファックスで送られてきた。 「今日中に、電話しますよ。」 と言われて、ずっと待っていたのだが、全く音沙汰無かった。 正直、私の方が忘れかけていた。 今日になって、突然私の留守中に、ファックスとして返事か来た。 〜貴方のご都合の宜しい時で結構ですので、一度電話下さい〜 人の繋がりというのは、思ったより軽いものではないらしい。